(255)母親と猛暑の想い出(前半)

世の中の出来事

夏に…何と言いますか、こう猛暑の日々が続くと、母親とのことを 時々思い出します。母親はもうこの世にいません。5年ほど前、コロナの流行する1~2年ほど前に亡くなりました。 母親は全部認知症というわけではなく、1/4ほど認知症だったのでしょうか?同じことを繰り返し言ったりしますが、一人暮らしで多少困ることがあったぐらいで、実家で一人暮らしをしていました。

わたくしはそこから20分くらいの距離のところに住んでおりましたが、なにせ老人によくあるパターンのごとく、こんな暑い日でも、自然のままが一番いいと面倒くさがってクーラーなど全然使用せずに、家の中にじっといるか、少し散歩に行くような、そんな生活を送っていましたから、その頃の猛暑でも、家の中で倒れているのではないか…といつも、わたくしはとても不安でした。

わたくしは今よりはるか昔の青春時代の初期に、今よりもはるかに若かった、昭和の時代は、今ほど地球も暑くなく、猛暑と言っても、33度くらいが最高だったのかもしれませんが、しかし思い出すことがあります。大学1年の夏かもしれません…貧乏でしたから、家にはクーラーなどなく、その時は、少しでも涼しくと、押入れの畳んだ布団の上でちょこんと座るようにして、寝ていたのですが、暑すぎて、到頭15万円ほどするクーラーを電器屋さんに頼んで購入したように思います。

デイケアセンターでくつろぐわたくしの母親

そういう思い出はわたくしの学生時代ですので、それは昭和50年頃のことでしょう。 さすがにそんな昔は、現在の様な高熱の猛暑はなかったとは言え、今よりも遥かに最高温度が低かったというわけではなく、やはり暑いときは30度を簡単に超えるような記憶があります。

とにかく、その頃は母親も元気でしたし、まだまだ若かったので、何の問題もほとんどありませんでしたが、高齢になって年齢も70代後半の頃になると、今述べたように、暑くなると、熱中症で倒れているのかといつもいつも不安になり、離れている所で暮らしていると、本当に心が落ち着くことがありませんでした。

 友人とかのいろいろな助言を受けて、朝と夜の8時頃母親の携帯電話に電話をかけるか、または母親の方からかけてもらって、必ず無事の報告をするのを日課(習慣)にすることにして、ちゃんと電話をかけるようにきつく言いました。そうすれば、電話を掛けたり、向こうからかかってくるという事は、それ自体が、無事な生存証明になるからです。世の中でよく聞く方法でしょうね。

しかし、母親は面倒臭いからと電話しなかったり、こちらからかけても全然出ないこともあり、それはそれで、余計心配の種を増やしたようなものでした。それこそ、そんなことを実行せずに放置しておけば、1週間くらいあっと言う間に経過して、その間は悩まされずに過ごせるわけですから、そのほうが良いとも言えます。(しかし当然ですが、熱中症などで倒れて亡くなって、腐敗しているような危険性もあ、当然ありますから、いずれにしろ気は休まりません。)

ある時などはかけても全然出なくて、もう倒れたか、既に死んでるかとひどい焦燥のまま鳴らし続けたら、明らかに母親とは別人と思われる女性が応答して、『お母さんの携帯がスーパーの中で鳴っていたので代わりに出ましたが、息子さんですか?』というようなことを言われました。当の母親はどうしているかといったら、『うるさいから出ない』と言って買い物を続けていたそうです。(前半はここまでです。読んでいただきまことにありがとうございます。)

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