(157)白杖(はくじょう)の人の転落死亡事故に思う(第2回目)

世の中の出来事
白杖者の死亡転落事故

一応このエッセイは、その館長さんのお話を、NHKのラジオを通して要約して、わたくしがまとめているのですが、わたくしなりにその原因を分析すれば、大きく分けて2つあると思います。その第1の原因は、プラットホームにその時居合わせた人たちがあまりにも、その視覚障碍者の方に対して気づかずに、全部の行動を見ている訳ではなくて無関心すぎるので、落ちそうになっても、自分は関係ないという態度をとるということが大きいと思われます。それからもうひとつの大きな原因としては、やはり線路やプラットホームなどの駅関連の整備の問題で、具体的にはじゃあそういう事故を防ぐにはどうしたらいいかというと、やはりホームに…今では多くの地下鉄の駅なども転落防止とか自殺防止の観点から、ホームと電車の間に、新幹線歩ホームではかなり完備されているようですが、ほぼ、扉(腰かお腹くらいの高さの柵?)のようなものがあります。そういうのを全てのJRや私鉄の駅に整備するという事になると、はやはり予算が限られるので、とても全部の駅には行き渡らないという、そういうことでしょう。この大きな二つの原因によって、なかなか、厳しい環境のままで、ただでさえハンディが大きい視覚障碍者は転落してしまっても不思議ではない状況になっているのでしょうね。(ここまではラジオで述べられていた意見ではなくて、あくまでわたくしダンサー内藤の意見ですわなも。)

そして彼(この館長の田中氏)が言う理想的な駅があるそうなのですが、それは「高田馬場駅(たかだのばば・えき)」なのだそうです。何が理想的かというと、周囲のみんながしっかり、そういう視覚障碍者の人が歩いていると、声をかけてくれるのだそうです。やはり声がけは重要ですね。『どこ行かれるんですか?』とか、そういう行動ですね。

確かに無理に声をかけようとすると、『鬱陶しく思われるのではないか?』とか『障碍者だと思って、無理矢理同乗されて声をかけているでは?』などと思われそうで、声をかけにくい面もあるでしょうが、相手も何か尋ねたい時などは、それがきっかけになって質問でき安心ですし、せめて、プラットホームの端を歩いている時などに、『すぐ横が線路ですから、足元気をつけて下さいね。ちょっとだけガイドします。心配だから…』などと、重要な瞬間だけ声をかければいいのではないでしょうか?

ずーっと歩を進めるたびに声をかけ続けても、相手も鬱陶しいでしょうし、何か障碍者という事で、かえって恩を売られたり、柔らかくいじめられているようで不愉快かもしれませんから、今書いたように、ホームの端付近を歩いている時とか、落ちる危険性がある所を移動している時だけ、しっかり付近の皆様で“注視”して、転落など絶対に起こさないように留意してあげるという事がとても重要だと思われます。

そうそう、『添い歩き』ですね。誰でもがそのぐらいの気持ちを持って、見守っていると良いですね。少なくとも、そのホームにいる間だけは最低限の『添い歩き』ができれば充分だと思っています。もし独りで歩いていたら何が起こるか判りません。恐ろしいことです。

人とぶつからなくても、あの当然、床や地面の出っ張りの所につまずいて倒れそうになるかもしれないし、朝の通勤ラッシュの時などは、ただでさえ皆急いで殺気立っているから、いちいち『あ、この人視覚障碍者だ』と気づかずに、邪魔だからってんで、ちょっと押してどかしちゃうかもしれませんからね。それで、線路にの方にフラフラとよろめいていっちゃうかもしれないですしね。(第2回目終了。第3回目に続きます。)

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