(283)近づく死の領域(第4回目)

世の中の出来事

ちょっと話は変わりますが。 私は小学生とか中学生の若い頃に…と言っても、小学生のときはそんなことは考えられませんので、思いついたこともなかったのですが……死というのはもっと安楽なものだと思っていました。といっても具体的なイメージがあるわけではなく、まあむしろ深く思い出してみれば、それはあたかも、ぽっくり死んでしまうというような状態で、人間はどちらかというと安楽に楽しくというとおかしいですけれども、苦しむこともなく、長期間重い病を患ったりすることもなく、簡単にこの世からおさらばすることができるようなイメージを持っていました。なぜ勝手にそう思い込んでいたのかは不明ですが…。

でも、深く考えたわけではなく、漠然とそんなイメージを持っていましたが、どうしてどうしてそんなことは、ある意味全く無く、ある人は癌というような病気になって、長い間、闘病で苦しんで、咳き込んだり吐いたり、痛みに耐えたり、そして、痛みを和らげる麻薬を用いて緩和ケアなどに入って死んでいく。もちろん、これからのわたくしもそうなる可能性は充分あります。だって、癌で死ぬ人は2人に1人、3人に1人などと言われているようですからね。 むしろ何か、交通事故などに遭遇して、病院に運ばれたけれど、2時間後に死亡などという方がぽっくりに近いのかもしれませんが、これもこれで又恐ろしい感じです。

交通事故であれば、多くの人に自分が加害者であり、被害者であり迷惑をかけるだろうし、即死状態ならまだしも、病院に運ばれて2時間後に死亡という事は、多分意識はなくて、痛みは感じなかったのかもしれませんが、実際はどうなのでしょうね……⁉

そうですね。臨死体験などの本によると、その頃はお花畑の所(霊界の入り口⁉)にいて、はるか昔に死んだ父親に『やっとこっちに来たか~』などと言われているか、もしくは『まだまだお前が来るには早い。早く戻れ!』と言われて、瀕死の重体から気が付いたら、病院のベッドに横たわっていたということになるかもしれませんね。

2時間後に死亡ということは2時間の間中、虫の息で痛みとかに苦しみぬいた結果かもしれませんので、そういうことも、これはあまりとても案楽な死に方とは言えませんねでしょうね。(第4回目はここまでです。ご意見お待ち申し上げます。第5回目に続きます。)

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