(172)ザ・死に学…これからは自分の死をデザインする時代⁉(第3回目)

世の中の出来事
これからは自分の死をデザインする時代⁉

本日は第3回目です。 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。 物事あまり深く考えていないので、そういう曖昧な点に鋭く、時々メール質問がきますが、例えば今回のタイトル『ザ・死に学』というのはどういう意味で書いているのかということですが、皆様もお分かりかと思いますが、前回迄に書いた様に、自分の死亡時期などがAIによって告知された場合には、人々は今現在からその告知された死亡するまでの間の、自分の生き方、どういう物事を遂行するかとか、そういうような、残りの“人生設計”をデザインしたりレイアウトすることを『ザ・死に学』と呼んでいる訳です

では第3回目に入ります。もちろん医学も発展するので、どんどん臓器とかも移植され、そのために人工臓器のようなものが、人工物質というか化学繊維の様なものからどんどん作られると思います。例えば、それこそビニールを用いたような非常に精緻(せいち)な人工筋線維が作られたりすると思うので、それと同時に死ぬ割合ももっと少なくなって、人間はほとんど不老不死に、もっと近づくような状況で、200年300年と生存できるような状態になるかもしれません。しかし、これは人間関連の事柄に於いては誰にでもあることで、例えば、CDやDVDの技術が発達すればするほど、昔のカセットテープとか、レコードとか、8ミリフィルムなどのアナログな昔の時代のものが良いと言って、昔がえりしたりする人もいるので。 200年300年に寿命がなるよりは、昔のように100年で、自分は死にたいという人も当然いると思いますので、いろんな意味で自分の病気を検知したら、もうあと3年しか生きられないなら、それをどのように有効に生きるかということを問題にする、そういう分野というか、当然金儲けも絡んできますから、そういう自分の死をデザインするような学科や学問とか、そういう分野が、経済的にも、非常に大きいマーケットとして発展するのではないかと思います。 ところで、今はぴんと来ないかも知れませんが、今の状況だと癌(がん)でもうあと一年ぐらいしかもたない…このままだと手術もできないというような状況になった時に、多分癌と宣告された人は、最初は、受け入れる前としては愕然としてしまい何も手につかなくなって、一週間や一ヶ月ぐらいはぼーっと過ごして、今後死ぬまでに何をしようかということにも頭が回らないと思いますが、もし7年後に死亡するというようなことがコンピューターで検知できるような時代になったら、人々はどう振る舞うでしょうか? まさか7年後に死ぬから、もう何もやる気が起こらないという人もいるにはいると思いますが、でも大体人生なんて、あと100年後にあなたは死にますよという風に死亡宣告をされているようなものなのだけども、ではあと100年後に死ぬからといって、ぼーっとして、もうショックで何も手につかずに100年間ぼーっと無為のまま過ごすという人はまずいないと思います。なぜなら、当然、人間はだれでもほぼ100年以内に死ぬ訳ですから……。なので7年ぐらい先といってもピンとこないと思うし、3年とか4年と言われたら、むしろ人々はよし、じゃあ今までやらなかった事を多少無理してでもこの1年の内にやろうという事になるでしょう。世界一周したかった人は世界一周を無理やりやるとか、そういう方向にむしろ積極的に残りの人生を悔いなく、今までちょっと無理しないとできなかったので、やってこなかったというような、 未完の仕事を多少無理をしても遂行するようになるのではないかと思います。まあ、いずれにしろ、未来のことを変な風に延々と書きましたが、最近そんなこと思う次第です。(第3回目終了。次回の第4回目に続きます。)

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