(175)死後の来世に備える(第2回)

世の中の出来事
死後の来世に備える

さて、第1回目に書いた様に、死んだら、来世にて生まれ変われる可能性もあるわけですが、もし死後の世界とかそういうものがあるとすれば、それは、この人間の世界を包含して、更にこの現世を超越して、遥かに広大に広がっていて、もし死んだりして、そちらの世界…これは冥界というのでしょうか?幽界?…に行ったとしたら、それはそれで死後の世界という事で、そして、そういう世界にまでわたしたちの存在が“継続”している…つまり死んでも、魂のような形で存在し続けるのならば、結構忙しくなるのではないかと思います。

どういう事かというと、まず死んでそういう世界に着くと、結構幽霊とか、今までの因縁とか自分の前世とかそういうものが色々明らかになって、これこれこういう局面で、自分は、この人に恨みを飼っているから、本当は、この人の怨念があなたを病気にさせたりしていたんだよとか…また、ここであなたの家族は交通事故に遭っているけれども、これはこういう因縁があって、一種の報いとして 事故に遭ったんだとか、そういう謎もすべて解けて、そして、誰々が誰々の生まれ変わりであるとか、ある意味そういう、姻戚(いんせき)関係?というか、そういう関連まで明らかになるのではないか。それでもっと幅広い世の中のことが多く判って、例えば、自分が幽霊としてここに行きたいとか、細かく言うならば、この人間は許せないので、自分が幽霊として現世に現れて、少し呪ってみたいとか少し驚かせてやりたい…とかこいつのところに出てびっくりさせて、今までの無念を晴らしたいとか、そういうこともできる、結構便利なオールマイティな社会…先ほども書いたように、人間の今のこの現世の世界をはるかに上回るような複雑な世界が広がっているのではないかと思います。

わたくしも今はこの世に生きていますから、急に明日あさってを迎えが来るわけではないと思いますし、ひょっとしたら火事などに遭遇してそういうこともあるかもしれませんが、まあとりあえずは、そう近くない将来に死が訪れるという事でしょう。

人間、当然いつかは死ぬ訳ですから、その死んだ後の世界のための心の準備というと変ですが、もう本当はそんな世界じゃなくて無になるのかも知れませんが、でも、もし霊魂とかがあれば、いずれにしろどこかの世界に行くことは確定なので、それが突然、再度生まれ変わるということかもしれません。要するに皆様もそうでしょうが。 赤ちゃんの頃、もの心が付いてから自分の人生を歩んでいると思いますが、その前の記憶なんてまずはありませんよね。

よく前世の記憶を持っている人間がいるとか言って書物に書かれたり、YouTubeで見かけたりしますが、そんなケースは別に3人に、1人とかそんな割合ではなく、もっと非常に少なく、眉唾物の感じがしないでもありませんから、まず普通の人間はそんなことはないでしょう。ですから、今度もし生まれ変わったとしても、自分が生まれ変わったということは判らなくて、突然今の現世のように、赤ちゃんから育って、もの心ついた時期から、“自我”というものを考えるようになる…そういうふうになるかも知れませんし、仮に生まれ変わった時は、もう全部記憶から消去されているとしても、我々は忘れているだけで、死去した後に、再度(と言うか、以前生まれ変わった時の様に再度)霊界というか幽冥界(ゆうめい・かい)というか、そういう場所に来て、それから『生まれ変わりの手続き』等を霊界の役所に出して、それこそアイキャッチ画像(このブログの今回の表紙のイラスト)の様に、“輪廻転生試験”を受けて、そして希望した生き物?にまた生まれ変われるのかもしれませんので、とにかく霊魂として存続するというか、存在として存続するということは、いずれにしろどこかの世界に行くわけですから、その世界への新たな希望を持って『出現=生まれ変わり』をして、その世界で、やはりまた一生懸命生き抜こうと努力したいとプラス思考で考えております。(第2回目はここまでで終了。第3回目に続きます。)

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