(212)心底 恐ろしい 交通死亡事故(その5=最終回)

世の中の出来事

やはり思うにそういう、大きいSUV車なので、運転席が非常に高く、下界(げかい)を見下ろせるようになっていたり、またベンツの様な高級車に乗っていると、何か非常に本当に戦車に乗っているようなもので、自分が世の中に対して、偉大な王になって君臨している、支配している…というと大げさすぎるかもしれませんが、そんな感じで、他者よりも非常に偉い立派な支配的な人物になった気持ちになるのではないでしょうかそういう気持ちは想像すると分からなくもありませんが、結局高価な機械や自動車を操縦して、平民の中を悠然と走っている…そんな感じがするのではないでしょうか?

そうそう、少し書き忘れたので補足しておきますと、これもよく聞きますが…トラックとかそういう大型のSUV車などは運転席が高いので、そこから睥睨(へいげい=見下ろす)するように、丁度丘の上から市街地を見渡すというとちょっとオーバーですが、しかし、そういう自動車の運転席から周囲を見ると、上の方からの視線なので、周囲の交通状況や前を走っている車、横を走っている車などがかなり『立体的に把握=3次元的な把握』することができます。 普通の乗用車だと運転席が低いので、立体的というよりは『平面的に把握=2次元的な把握』することしかできません。例えば、前に大きいトラックなどがいると、その更に前の車は見えませんが、大型のSUV車とか大型のトラックだとかバスだと、そういうものが見えやすくなるので、確かにそういう意味では追い越しなどを考えた際にも、立体的な予測というか、追い越しのプランが頭の中に、具体的なイメージとして浮かびやすく、それで強気な動作に簡単に出ることができるように思います。 ただ、立体的に把握しているので、自分がこの様に動いたら相手も当然自分を見てこのように動くだろうという予測を、瞬間的に頭の中で立てるのでしょうが、そういう座席が高くない自動車ですと、先に書いたように平面的な把握しかできませんので、必ずしも座席が高い運転者が考えているような行動になるとは限りませんので、そういうところから結局衝突が起こるのではないでしょうか?

特に右直(うちょく)事故(=右折車と直進車の衝突事故)でトラックが直進、片方が右折もしくはトラックが右折、片方が直進というような事故が多く起こるのは、そんな状況、つまり把握の相違にもよるのではないかと思っております。

以上、書いたようなそういう訳で、大型の自動車や、高級な自動車に乗っている人たちは、自分は選ばれたエリートなのだという気持ちを持つ…というと、オーバーな表現ではありますが、そんな感じになって、少しくらい乱暴な運転をしたとしても、自分はそれで許される…全然関係ない…自分は法律の隅々(すみずみ)までを守る必要はない…などと大きな気持ちになってしまうのではないでしょうか?

以下の様な引用例はちょっとずれるような感じもしますが、よく警察官などが送別会の後などに飲酒運転で自分で追突事故を起こして通報されて捕まる例がよくニュースで報道されます。警察官は特にそういう交通関連の指導者側に立つべき人物ですから、そういう事故があると報道としては、ここぞとばかりに漏れることなく確実に報道するので、その種のニュースを目にするのが多いのかもしれませんが。 しかし多い少ないに限らず、そういう警察官や警察に勤めている人がなぜ飲酒運転をするのでしょうか?そういう心理を深掘りしてみると、色々なことが分かって良いのではないでしょうか。

当然、警察に勤めているので、飲酒運転など超絶いけないことだといるでしょう。警察に勤めていなくても、今時小学生でも幼稚園児でもそういう善悪の判断ぐらいは知っています。にもかかわらず、そういうことをするというのは、自分だけは見つからないだろうと思ってたかをくくっているのか、それか自分だけは庶民と違うんだと思っているのでしょうか?……どう思っているのでしょうか?

まあ、わたくしの頭に浮かぶことはたくさんあって、そしてここに書きたいこともたくさんあるわけですけれども、今回のエッセイで書いたようなことをしっかり考える。そして、なぜ交通事故がなくならないのか? やはり自分中心で運転する人が非常に多いのでしょう……といいますか、そういう性格の人間が交通事故を起こす……ということが一番、大きな原因として考えられるのではないかと思います。 

考えてみればこれだけ機械も発展し、文明も発展しているのに、ただ単にものとものがぶつかるという一番単純な事故すら、少数の人たちには回避できない。 その結果起こる交通事故というのは、本当に原始的な現象のような気がしてなりません。 本当に交通事故の無い、皆様の日常生活を心より祈っております。

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