(245)死んだら無になるの?①

世の中の出来事

どちらかといえば多分のことだから。 みんなあまり考えないのかな…と思います。文書で書いてあるのはあまり見たことがないけれども、死んだら無になるのかな…とはいつも想っています。

無になるという事はどういうことなのか?皆様、判りますか? 無になるというのはゼロになる…自分としての存在が何も無くなるということですね。ではもう生まれ変わらないのか?それは色々考えることができますが、こうして文章や文字にしているという事は、あくまでこの世で、肉体と頭脳を持った存在としての人間の“脳”で考えている考え方で、本当は想像を絶するような輪廻転生(りんね・てんしょう)のシステムがあったり、わたくしもエッセイに書いているように、輪廻転生のための準備期間が、多くとも350年あるというのが正解かもしれませんね。そういう根本的な何か、大きい生命の循環というか、輪廻転生のシステムが、霊界に存在するのかもしれません。

そんな感じがしないでもありません。 例えば“無”の状況なんていうのはどういうことでしょうか?皆様はそういう状態を想像したことがお有りでしょうか?

今現在、これを読んでいらっしゃる皆様もそうですが、わたくしたちは、生きていて“意識”があるからこそ、つまり“有”=“有る”“存在している”という概念を認識しているからこそ、“無”というその比較対象としての概念も、まあ、半分くらい理解できる訳ですが、例えば皆様当然ですが、生まれる以前の記憶というものは有りませんよね?

“無”というのはある意味そういう状態なのでしょうか?また、身近で判り易い例としては、睡眠中ですね。眠っている時も夢を見て、どこどこへ夢の中で訪れたという人は、まだ夢の中でも記憶があったわけですが、どんな夢を見たか覚えていない、もしくは夢は見ていないと思う人は、例えば夜の9時から明け方6時まではまったく意識がなかった…という状況を想像すると良いのではないでしょうか。睡眠中の記憶が全くないという事だけで、(意識が)無だったとは言いにくいけれども、ただ、死後、全存在が消滅して”無”になれば、意識も当然存在している訳がないので、感覚的にはそういう事かもしれませんね。(勿論“感覚”も存在しませんが、生きている私たちが想像するには、そういう事を思い描けば判り易いという事です。)

(第1回目はここまでです。第2回目に続きます。お楽しみに)

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