(150)吉野家さんの『シャブ漬け戦略⁉事件』について思う事

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田舎から上京してきた若い娘をシャブ漬けの様に牛丼漬けにッ

 もう1ヶ月以上前になるでしょうか、吉野家の幹部の人が、失言をしたと言いましょうか、『都会に出て来た生娘をシャブ漬けにする(様に牛丼漬けにする)戦略』ということで、要するにシャブ(覚醒剤)ではなくて、牛丼漬けにするという表現をされました。『(やがて都会になじんで)男に高い飯おごってもらうようになると、絶対吉野家には来ないから、その前に吉野家の牛丼中毒にさせて、もう牛丼から離れられないようにする』というような、下品というか、生々しいと言うか、そういう面を通り越して、例えが非常に犯罪的というか、そのものズバリを言って幼いと言うか、非常に物議を醸し、果てには常務取締役でしたかね?それを解任になってしまったというニュースをやっていました。

 

わたくし、いつも吉野家に行って、この様に、紅しょうがを山盛りいただくので、しょうが泥棒ブラックリストに載っていそうなのですが、今回は、大好きな能登旅行の途中、真夜中に酔った、初めての「松屋」さんで、牛丼を楽しみました。その画像ですわなも。

まあ、わたくしなどはこれを聞いた時に、かなりエリートの人なので、こういうことをしてしまうんだなという風に思いました。わたくしもエリートなので(どこがや……( ゚Д゚)……)その気持ちは分からないでもありません。要するにエリートという人は、こういう何か、何と言ったら良いのでしょうか?この人もそうでしょうが、自分がこういう風に『シャブ漬けみたいにして、もう熱中させてしまえばいいんで‼そうだ、そうだ‼』っていうことを考えついたら、この『シャブ漬け』という表現、良いなっていう、自分がそういうふうに思いついた、その才能とか表現に酔ってしまうと言いますか、溺れてしまって、それを自分より愚かだといつも思っている一般庶民に、早く言いたくて言いたくて溜らなくなってしまうのでしょうね。誰かに発表したくて仕方がないんですよね。そういう昂(たかぶ)った気持ちが先に来るものですから、瞬間周りが見えなくなってしまうというか、そういう否定的で自分を客観的に見えるどころか、『これいいだろう。こういうアイディアなんて、さすが、俺、もう抜群だぜ‼』みたいな風に酔いしれてしまっての失言だと思います。

 この人は非常に鋭い実力の持ち主で、やり手の人でどこかの企業の経営をしっかり立て直したというベテランで、それで臨時取締役のような立場について、それで吉野家も立て直そうと言いますか、更なる業績アップを目指して雇われたということだそうですが、そんな人が、ちょっと考えたとすぐ分かりそうなことで失言をしてしまって大ブーイングみたいに叩かれてしまいました。今、色々な公的行動のモラルやハラスメントに、とても厳しくなった世の中ですから、昭和の時代だったら、まあ『面白い例えだな』ぐらいで、『それそれそんな感じにしたらええやん』みたいに周りから迎合されて、全然大丈夫だったのかもしれませんけれども、この今、もう本当に、公的な場で特定の女性に美しいと言っただけでも、それはある種のセクハラと言いますか、そういう風に問題視される時代ですから、それはトップの人は厳しく厳しく自分を律しないといけません。

こういう発言の初期の頃はと言えば、たとえば、森喜朗元東京オリンピック組織委員会会長が、女性の理事が入ると、女性はいろいろしゃべるから会議の時間が長くなるというようなことを言っただけでも問題視されたニュースを思い出します。

 そして更に悪いことには、今回の吉野家に関する発言は、犯罪的なニュアンスもあるので、その点も非常に大問題です。こんな風に公然と『シャブ漬けになったみたいにする』という表現もちろん大問題です。それじゃああなたはそのシャブ漬けとか、そういうことを身近で経験したことがあるのかみたいに思われるし、もしもそうであったら、それは犯罪のメンバーじゃないのかと思われますしね。それに一般大衆というか、普通に生活している私たち国民は、そういうことを目の当たりに見ることなんて無い訳ですから、そんな比喩(ひゆ)をされても判りにくいというか、ピンと来ないのが普通です。

 こんな切れ切れのやり手の人が、そういう状況は全然分からないのでしょうか?その点が実に不思議です。確かにそういう点が判らないからこそ、こういう、あまりにもひどい発言に至ったのだとは思います。ほとんど犯罪映画の場面ですものね、“シャブ漬け”なんて言葉は…。

 ですから、そんなことがちょっと考えれば分かるのに…、物議を醸(かも)すだろうということは分かるのに、それをあえて発言してしまったというところが、わたくしが思うには、この種のあるシュ能力の豊かな天才的な人は、才能に酔いしれてしまうんですよね。つまり、如何に書くことが今回のエッセイのひとつの重要な、わたくしが感じる点なのですが、『これこれ‼こんなに良い思いつきをしたぜ。』などと思うと、も居ても立ってもいられずに、どうして周囲の人たちに自慢したいというか、それをもう、言いたくて言いたくて、知らせたくて、知らせたくて一刻一秒も我慢できないというか、自分より立場が下のその参加者たち、聴講生たちに言わないと、もう気が済まないという…そういうことが、大きくあると思います。

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