(55)私はいろいろ殺戮者( ゚Д゚)でした…

人間がレストランで、牛、魚、ニワトリなどにフォークを振りかざしている人生への疑問
人間が命を食べない日はない

まあよくですね、この人間とかがですね、ニュース報道で、犯罪とかに巻き込まれて、殺されたりケガをさせられたりした時に、『何の罪もない人が…』と言いますけどね、ま~私の心の底からの本心としては、人間は本当にもうね、毎日毎日食事をする訳ですが、お魚とかお肉とか、貝とか、地球上の他の命を食べないと言うか、そういう他の生き物が食卓に料理として並ばない日は一日も無い様な状況である気がします。今述べましたように 本当にね、肉料理だとか魚とかですねいろんな命を、ほとんどこの毎日食卓に乗せて食べ、命が食卓に並ばない日はありませんよね。人間というのは本当に毎日いろんなものを食べます。アサリの味噌汁で焼き魚、お肉のステーキ、すき焼き、お寿司もたくさんおさかなの命を消費します。何やかや、適当に作ったって、必ず、お肉などを使います。だから多くの牛さんを殺している訳です。多くの豚さんを殺している訳です。鶏肉だってもっと気軽に、フライドチキンなどで使われています。今はちょっと聞かなくなりましたが、ひところはジンギスカンなども大人気でした。これなどは、羊さん沢山殺していますね。それから、海の、このお魚もそうですね。はんぺんやかまぼこもお魚ですし、お魚は種類も豊富ですから、焼き魚、フライ、てんぷらなど多くの料理に、沢山のお魚の命、ささげられています。貝などもそうですね。植物はね、要するにお野菜や木の実、フルーツなどはとりあえず、動物というわけではないですけどね、植物の命まで挙げたらきりがありません。植物だって考えてみれば、命があるわけですからね。そういう事を考えると本当に食卓に“命”が並ばない日なんてほとんどありませんものね。ま~精進料理ばっかりだったら、多少命がない時もありますけれどもね。わたくしも、学生時代の終盤に、例の大好きな能登半島のもう少し南の福井県の永平寺に、少しだけXmasの後の新年の時期に、半分本格的な修行という事で、お籠りして、読経や座禅のコースに参加した事ありますが、この時は、袱紗(ふくさ)の作法を覚えて、精進料理だけの食膳を楽しみました。

 あれはどうなんでしょうねえ?!ハラールフードというのがあります。不勉強なのであまり判りませんが、中東やイラク、イランなんかの、お祈り済みの食材?でも牛や豚さんは食べないのでしたっけ?ハラール・フードですね。そうそうお清めしたのならば食べても良いのでしたかね?とにかく、人間は地球上至る所で、他の動物の命をむさぼっている訳ですよ。そんなわけですからね。あまり大きな声で書くと、非難されそうだから、あまり言えませんが、本当に、このわたくしの暗い性格の本心としては、地球上の人間は本当に“傲慢”で、自分たちが地球の中心だから、動物の命を自分たちの種の存続のためには、大義名分を以て、ドンドン殺して、養殖して、飼育して、食材にしている訳なので、そういう意味では、傍若無人に振る舞い過ぎて、もう生まれてすぐにも人間界で暮らし始めた時点から、かなりの大罪を背負っているとは思っています

やはり、こんなふうに書くと叱責されたり、炎上したり、非難轟々(ごうごう)かと思うんですけどね、確かに、これらの命を自分自身で狩りをしたり、猟銃で撃ち殺して、そして解体して保存したりして、食べるわけではないですし、まあそんなことはできませんもんね。やろうと思ってもできる環境には有りません。あの欧米なんかですとね、やっぱり自分の家の庭に鶏を飼っていて、そして、自分の手で“絞める”と言いますが、要するに殺してね、そして、解体して食べたりとかですね。また、お魚の場合でしたら、魚を買ってきて3枚におろすというか、内臓を取って捌いたりはしますが、まあ、生きて泳いでる魚を殺すわけではありませんけれどもね。まあでもそういうことは無きにしも非ずですね。本当にね、昔、わたくしが高校の数学の先生をしていた時に、研修会がありましてね、確か蒲郡市の方まで出かけて…(わたくしは名古屋在住で、研修会ははるばる遠路で、愛知県蒲郡市の港の近くの研修施設で開催されました。)その時に、小学校勤務の綺麗な女の先生がいらっしゃっていたんですけれど、2~3人で、今の様な事柄を真剣に話し合った事があります。つまり、人間というのは、他の動物や家畜の命を、自分たちのためのみに使っている傍若無人ぶりの社会構造だけれども、それでも人間に“原罪”はないのか??というような議論を真剣にやっていたわけです。決着はつかなかったというか、難しい議論でした。小学校の先生は泣いたり、怒り出したりしちゃったような記憶があります。

まあ、上述しました様に、特に生まれてきた自分が、好き好んで動物を殺生する様な意識はない訳ですけれどもね、既に、人間社会の中にね、そういうあの『肉食』というものが組み込まれてしまっている訳ですからね。だから、自分は動物たちを殺したくないから、かわいそうだからもう食べないとか、そういうことは不可能ではないんですけれども、そういう事がどーんと真正面から可能という世界でもない状況な訳です。 そこで人間社会自体が、そういう事に関しては何も無理に考えなくてもいい風に、システム化されているので、もう疑問を挟む余地はないのですよね。万一、子供時代などに、自分がそう思っても、当然お父さんお母さんが『あのね、そんなこと関係なくちゃんと食べなさい!!』というふうに言うかもしれませんですからね。それで私が知りたいのは、やはりこういう事に関して、多くの皆様はいったいどのように考えていらっしゃるかという事です。こういう事柄はどちらかというとタブーに属する事ですからね。でもまあ、こういう事を”黙認”しているという事は、やはり心の根底では、人間と言うのは、地球の王様と思っているのでしょうね。ところで、これを読んでいる皆様が、『じゃあお前はそういう殺生などは一切せずに肉食をしていないのかと詰問されれば、そんなことありません、あの、私はステーキ大好きですしねえ。だからそういうところが自分自身の存在の矛盾点があるんじゃないかと言われれば確かにあるような気もします。でも本当に殺生は、私としては、本当にもうゴキブリを殺すのも、心底望んでしたくはありません。でもね、子供の頃は残酷ですから…また別のところで話すように、ええ、本当にね、犬を殺した、ねずみも殺しました。本当に何も考えずに愚かな少年でした…ってなことで、何を言いたいのか、読者の皆様にはよくわからなかったかもしれませんが、またの回に続くということで、宜しくお願い申し上げます!! (終了)

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