(170)ザ・死に学…これからは死をデザインする時代⁉(第1回目)

世の中の出来事
これからは自分の死をデザインする時代⁉

以前も似たような事を、このブログのエッセイに書いた気がするので、ある意味、改めて、正式に、 『THE・死に学』という様な感じでしょうか…今日はまたあまり皆様が考えていないようなこと、と言いますか、考えていても、あまり発声としては会話に出さないような内容をお話ししたいと思いますが、でもまあ、映画の題材とか、そういう風には既に取り扱われているような気もしないでもありません。

将来的に、今後50年もすれば、本当に病気の発見というか、簡単に言うとスマホのようなものを持っているだけで、自分が癌になったら、『あ、今あなたは癌になりました』とか、『これから3日すると脳梗塞が進行して倒れる格率90%でしょう』とか、そんなようなモニター表示がスマホというか、埋め込んだチップのような…以前にもこのブログで書きましたが、もう50年ぐらい経つとスマホを持つとかじゃなくて、持つと手間がかかりますから、手の甲とか、もしくは内側に簡単な、それこそ0.5ミリ四方くらいのチップを埋め込んで、そこでホログラムとか、自分の前の空間に立体映像(ホログラム)とかが投影されて、そういうので友達と会話したり、ラインできるようになったりするのではないでしょうか。

そして、やはり病気の予防とか検知ということに主眼が置かれて、医学機器も発展して、ちょうど脈拍を図るように脳梗塞の危険度とか、がんの危険度とか、もしくはもう脳梗塞になりつつあります…癌になってしまいましたという様な、病気罹患の表示が出てくるのではないかと思います。

そしてそれと並行して、がんももう不治の病じゃなくなって、もはやその頃には、100%完治できる病になっていると思うんですが、ただ、その50年後から80年ぐらいの時点では、まだ不治の病もそれなりには残っていると思いますので、その時代には、例えば『あなたは3年後の7月頃に死にます』とか、そういうことも平気で告知されるようになると思います。告知されるというよりも、自分が持っているスマホのようなその埋込型チップのスマートフォンみたいな機器で、医者の許可とか関係なしに告知されるというか、発見検知できるような状況になると思います。

そうすると、もうそこに『死』…自分の死、死に方をいかにデザインするかということも考えなければいけないような事態が起こってくると思います。

要するに安直で簡単で分かりやすい表現で言えば、人々は誰でも、今現在は、自分はなんとなく…例えば80歳頃には、大きな病気になってひょっとしたら死ぬかもしれないなというようなことはうっすら考えていても、具体的に何年後の何月あたりに死ぬかという様なことは、当然普通の人にはわからないので、まあ、死にそうになったら、その時考えようということで、とりあえずはずーっと生きることを前提に、一生懸命物事を処理し、日々頑張っているという状況が、当然いうまでもなく今のわたくし達、人々の状況だと思います。(第1回目はここまでです。第2回目以降に続く)

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