(279)遠い昔日…昭和 (第3回=最終回)

世の中の出来事

わたくしの住んでいる名古屋の様な、ちょっとした都会では街路灯とかは多少は整備されていたと思いますから、少しは深夜でも明るかったのでしょうが、特に真の田舎の、例えば岐阜の山の方とか町はずれとか、そんな所の真っ暗さに比べれば、街の景色、家の屋根屋根はぼんやりと見えたりすることもあったでしょうが、今の深夜に比べればとても暗い、寂しい時代ではなかったかと思います。

わたくし、もうお迎えが近いと言うと笑われそうですが(ちなみに私は昭和33年生まれのもうそんなに若者ではありませんので)人生の折り返し地点を過ぎたといえましょう。でも一応、あと50年は生きるつもりではあるのですけどね。 (ちなみに、わたくしダンサー内藤は、120歳まで生きるのが目標なのです。)

ああ、そういう、生まれた時よりはゴールポイント(=人生の終点)の方が近くなったという年齢もあるのでしょうか? 最近は子供時代のこと、何くれとなく、よく想起したり、想いを起こしたりするのが好きになってしまい、暇があるとよくそういう生まれた年代に近い時代に思いをはせております。

昭和40年代の夜とか、流行歌はどうだったか?……夏、冬のお正月は何があったか…そんなようなことをもう一度体験したいような気もしないではありません。皆さんはそういう時代のことを覚えていらっしゃいますか?……と言っても、多くの年代層の人がこのエッセイを読んでいただいていると思うので、確かに今20歳の人にそんなことを言っても、昭和40年代なんか全く知らないでしょうから、わけわかりませんよね。今20歳の人だったら、その人は、平成20年頃に生まれたのでしょうか? そんな感じですよね。 なので“昭和”などという年号は全く知らないわけです、昭和40年代がどうだったかとお話ししても意味がわかりませんよね。

対して80歳ぐらいの人だったならば、昭和20年代とか30年代生まれでしょうから、少しお話しが分かるのではないでしょうか? 懐かしい、遠い遠い…それこそ、「Kとブルンネン」さん【編集部・註:歌手の名前】の歌謡曲で、『あの場所から』の歌詞で歌われているように、『…できるならば 帰りたいけど 今は 遠い あの日……』……本当に何という悲しい、昔日に想いを馳せるような、寂しい涙がとめどもなく流れるような歌詞なのでしょう。

本当にこの様に、あの日…という歌詞があるように、本当に遠い遠い、遠い想い出のかなたの記憶になってしまっていますね。もちろんそれは、今から一年前の2022年だって、最早還らずの昔日ではありますが、 昭和40年代とは重みが違いますもんね。 そんなことを取り留めも無く思う昨今です。

(このエッセイ、ここで終わり。)

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