(274)人はドラマを求めるのか?(第1回)

世の中の出来事

人はドラマを求めるのかなあ? どうかな~……まあ、今も昔も結構殺人事件のワイドショーとかワイド劇場のような2時間ドラマ。それこそ少し前で言えば、神田正輝さんと片平なぎささんが主演したような殺人事件、やはりなんとなくそういうドラマを時々ふっと観たくなることがあります。まあ金田一耕助探偵のドラマとか名探偵ポワロなどの、もっとセットにもお金がかかっている壮大な構想の劇もいいのですが、たくさん見続けると飽きてしまって、また『鬼平犯科帳』とかの異なる種類のドラマも見たくなります。

そういう多くのドラマの内、恋愛ドラマとか、家族間のパロディのようなドラマとか、子育てドラマ、社員奮闘ドラマのようなものは別としても、多くのドラマは殺人事件を扱ってハラハラドキドキします。慣れてくるとハラハラドキドキもないかもしれません。もう作り物ということがわかっているので、偽の作りの死体を見てもあまり真の恐怖は感じないかもしれませんが、それでもそうは言うものの、やはり、何となく観てみたくなる心理というのはどういうものでしょう?

ただ、単に殺人とかは非日常なので、…といっても実際そういう事件に巻き込まれたり、親が自殺などをしたり、親族が病院で死ぬとか、友人の事故死……というものを非常に身近に経験する場合もあるかとは思いますが、しかし多くの場合、犯罪がらみの殺人事件などというのは、まず想像の世界だけであって、現実味が乏しいのですが、そういうドラマを観るということは、必ずしも殺人の内容が含まれていないとしても、何か事件に巻き込まれて、自分がハラハラドキドキしたり、そういう自分の目の前で“展開”していく事件の物事の処理に躍起になる……そういう体験をしてみたいと思う心があるからではないでしょうか。

といっても真剣、自分の家族が殺人事件に巻き込まれて殺されたりするのは心底嫌なので、そういうことではないのだけれども、でもできればそれこそ金田一耕助探偵のような立場とか、事件を解決する刑事のような立場になって、おいしいとこだけ取りたい。もっとも、そんな“にわか刑事”になったとしても、事件を解決できる訳もありませんし、ましてやドラマで扱うような複雑怪奇な犯罪で、想像を上回る真犯人がいるような場合の事件が、金田一耕助名探偵のようにすらすら解ける訳ではありませんけれども、何かそういう…事件に巻き込まれて、この毎日の平々凡々な生活とちょっと違った、刺激に満ちた体験をしてみたい……そんな思いがあるのではないでしょうか?(前半はここまでです。次回の後半に続きます。)

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