(160)AIやロボットのいる未来(第2回目)

世の中の出来事
AIやロボットのいる未来より昭和30年代がええ

さて、先回の続きですが、先回のお話しは、かなりの近未来には、脳に超小型のコンピュータの様な集積回路を埋め込むと、そのチップに入っている運動プロ選手の脳の記憶や運動の手順、また英語であれば、それを離したり各能力が、チップを通じて、その人の脳に“移植”されて、本人は別段、英語勉強とかの努力をしなくても、英語がペラペラになったり、プロ野球選手の様にホームランを打ったりできるようになるのではないか?という様な事を書きました。

別にプロでなくても、そういう手順を、チップの脳への働きかけによって、きちんと体に教え込まれれば、とりあえずある程度までは、誰でも満足できるようなレベルまで達成できることは確実なので、そうであれば、もう専門のプロの職業の人の多くは失職することになります。例えばお寿司の握り方を知らない人も、脳にチップを移植すれば、すらすら握れるようになる…自動車の運転をしたことがない人も、教習所で学科や実地でみっちり練習して仕込まなくても、脳にチップを埋めれば、すぐにでも自動車を運転できるようになる…そういう事なので、そうすると当然、いろんなことが起きてきます。まず今までの様に、何かを勉強することが不要になりますし、そういうであれば英会話の先生とか英語の先生なども不要になってしまうでしょうし、自動車学校自体も不要になってしまうとか、色々なそれこそ『産業革命』に近いようなことが起きるかもしれませんね。

 さて、わたくし自身は、そんな進みすぎている文明よりも、そして最初の表紙絵(アイキャッチ画像)のように、手の甲に埋め込んだチップを利用して、ホログラムで相手と会話できる…そんなSF映画にあるワンシーンのような状態になることが望みではなく、どちらかといえば自分の生まれた懐かしい、懐かしい。 昭和30年代の、昔の風景の方が大好きです。インターネットもメールも、コンピュータするなかった、そういう昭和30年代にもう一度、“輪廻転生(りんね・てんせい)したいと、最近特に餓(かつ)える程、望むようになりました。

ひょっとしたら、もうお迎えが近い(=要するに死期が近い⁉)のでしょうか?小説家の大家の森村誠一先生がおっしゃっていらっしゃるように、人間は本当に5万回ぐらい自分の人生を繰り返して、輪廻転生するとかいうようなことを先生の小説のどこかで読んだことがあるような気がしますが、そういうふうにしてまた同じ人生を体験するために、わたくしも再び、昭和30年代のような時代に生まれることができることになっていて、その輪廻転生の為にそういう気持ちの準備をしているのでしょうか……。

自分が生まれた昭和30年代のことを思い出すということは、本当に懐かしい。 昔の時代が羨ましいです。楳図(うめず)かずおさん(=怪奇漫画家)の作品にもありますけれども、どこかのそれこそ、東北地方とか長野県とかの駅に電車で到着して、そこから1時間に2本ぐらい出るバスにガタンゴトンと揺られて乗り継いで、さらに2時間ぐらい歩くとやっと故郷の村があるとか、または何か恐怖の呪われた集落があるとか、そういう話を聞くとワクワクするのですが、今はもう車で行けば相当な秘境でも、主要国道や昔と違ってきれいにコンクリート舗装された県道を30分位運転すれば、着いてしまうというような場所が多いのではないでしょうか?(第2回目はここまでです。第3回目に継続します。)

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