(24)認識の固定化とは?

お知らせ
例えばこういう無気味な人がいたとしても、こんな人は常識で入る訳ないと、深層意識が判断して、見えているのに、消去してしまうので、前にいるのに、見えない

時々ふっと思うんですけれども、今回はちょっと難しく?変な?奇妙な話題をお話ししてみようかと思います。突然ですが、わたしたちが、幽霊が見えないというのは、幽霊など常識的に考えて、存在している訳ないので、万一目の前に、視界の中にいたとしても、潜在意識というか、そんなのいる訳ないという深層意識が、目の前の風景を、自分の意識に都合の良いように“修正”して、そこに居ないというふうに風景を見せてしまっているからではないかと考えられます。そういう事柄を、このエッセーでは、『認識の固定化』とか『認識の修正』という訳です。よく怪談本などを読んでいると書かれているのですが、(そんな本に書いてある事では、信用できないと言われそうですが……)小さい子供や小学生のように、若い時ほど、幽霊などを見やすいと言われています。例えば、4~5歳の幼児の頃など、部屋で誰もいないのに、誰かと会話していたりするので、母親が不思議に思って、『誰とお話ししていたの?』と尋ねると、『白い服のおじさん。夕方になるといつもお部屋に入ってきて、一緒に遊ぶの…』等と答えるのですが、もちろん誰もいません。要するに幽霊の様な存在と遊んでいるのですが、幼児は多くの、この世での人生経験がまだ無いので、そういう存在が普通夕方に簡単に家に入ってこないという、いわば常識も持っていない訳です。なので、素朴に、目の前にある風景が、何ら“認識の操作”なしに見えてしまうので、大人では見えないものも見えてしまうという訳です。(もちろん、もし本当に幽霊がいたという前提でのお話しですが。)

言ってみれば、鈴木さんという年配の知人がいたとしましょう。そして、この人は、会う度毎、会う人毎に、『若い者はけしからん!』『ルールを守らん奴が多い!』などといつも苦虫を噛み潰したような顔をして、文句ばかり言っていたとしましょう。そうすると、誰もかれも、『鈴木さんというのは、いつも文句ばっか暗い顔をして言っている人だ』という、いわば“固定観念”を持ってしまう訳です。これは無理もない当然のことです。なので、ドンドン生活の年齢を経るにしたがって、幽霊などいる訳ないのだ、(たとえいたとしても、そうめったやたら見えるものではないのだ)という固定観念がどっしり芽生えて、本当に目の前にいたとしても、深層意識がそれを、見えてない風に解釈してしまう事があるというお話しです。

これは一種の合理化とも言えます。どういう事かというと、先ほどの鈴木さんの話もそうですが、人間と言うのは、日々色々な事を合理化して、思考の経路などを短縮しています。というのは、鈴木さんを目の前にして、鈴木さんを見かける度に、『ああ、この人はどんなタイプの人で、どんな挨拶をすればよかったかな?』などと考えて、性格や嗜好をその度毎に質問したりしていては、莫大な時間がその度にかかるので、手っ取り早く、この人は『暗くて文句ばっかり言う人』とか、また別の人なら、『この人は明るくて、すぐ乗せられるので、誉めれば、何かご馳走してくれる人』などという風に、レッテルを貼り、自分の脳みそが判別しやすいように分類しておいた方が、合理的で、時間短縮できるという事です。なので、大人になればなるほど、色々な意味で、真の風景が見えなくなるとも言われています。つまり、ドンドン合理化が進んで、不必要なものは見ない、感じないという脳みその働きが、強くなってくる訳です。

ま~、だからそれが、わたくしが幽霊に遭遇していない理由という訳ではないのですが、ちょっと別の話になりますが、例えば、『脳男』という小説(首藤瓜於(しゅどう・うりお)さんによる、第46回江戸川乱歩賞受賞作の小節)には、記憶喪失か何かで、自分が何を覚えれば良いのか不明なので、とりあえず、目の前の風景全部を覚える。本などを見たら、ページ全部の字句を瞬時に暗記するという、この前書いたCSIじゃないのですが、海外犯罪捜査ドラマの『アンフォゲッタブル 完全記憶捜査』の女捜査官キャリー・ウェルズ(女優名は、ポピー・モンゴメリー)の様に、全ての風景を暗記している、そういう主人公が出てきます。これなんかも前述の言い方からすれば、“記憶の非固定化”とも、余分で不要な物を消去する合理化をしていない状態とも言えましょう。また、相棒などの初期のシリーズにありましたが、一種の精神薄弱(こういう表現は今はタブーなのかな??どういえば良いのかな?)の人などが、これもまた、目の前の風景や事象の意味が、常人の様に判らないので、どれが重要か、どれが今必要になっている事項なのか判らないので、とりあえず全部の風景を脳に印画して、そして、更に絵の才能があるのか、それを瞬時に、スケッチの様にデッサンで書いてしまうという人が登場しました。(なので、そこに、殺人の重要性も判らずに、何か殺人に関係ある情景が描かれていたというストーリーでした)これも一種の非合理化の賜物といえましょう。本日はちょっと難しいお話しでしたが、心理学的に、こういう事もあるのかというお話しと、幽霊が見える、見えないというお話を結び付けてみました。

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