(223)ダンス関連…相当マニアックな記述(音楽の捉え方について)【第4回】

ダンサー内藤の解説シリーズ

社交ダンス音楽というジャンルは存在せずに、結局は他の分野の多くの音楽を借りて使っているのだという事は、確かに他の観点から見れば、多くの他の分野の音楽でも踊れるので、非常に便利とも言えます。(しかしでは、他の音楽でも全然問題なく踊れるので、今や日本中でバンバンに流行して踊られているかというと、そういう状況は無くて悲観的…。)しかしそういう経過の中で、『社交ダンス音楽』という地位を構築されずに長い年月が経過してしまっているので、そこら辺を将来的には、もっときちんと考えていけば、社交ダンスの地位も上がるのではないかとおっしゃっています。

さて、次ですが、社交ダンスはやはり英国人の作り上げたモノなので、当然西洋音楽が土台になっています。では西洋音楽とは何でしょうか?(かなり東洋音楽≒我々の土壌とは異なっているとのことで)、やはり同じ音声という事で、判りやすいたとえ話としては、私達の英語の発音の習得や学習に構造が似ています。よく言われる事ですが、水という単語は、ネイティブ(現地人)が発音すると、ワラ~などと聞こえますが、日本人がそれを理解するのは、英単語でそのまま、ワラ~⇒水と瞬時に理解するのではなくて、『今、ワラ~と聴こえたが、これはどういう単語?あっ、そうか、ワラ~というネイティブ発音は、ワラ~、ワ~ラ~、ワ~タ~、ウォ~タ~で水だったな!』などという考察経緯を経て、結局一種の『暗号解読』の様な状態で理解している訳です。

もっと言えば、僕もいつも英語ペラペラになれる様に勉強しているのですが、先生はとにかく、英語で何か聴いたら、日本語訳を経ずに、そのまま英語で考えられる“英語脳”にしなさいと指導するのですが、多くの日本人はたとえ、言われている英語が理解できても、それはその都度、判別できる英単語を日本語に置き換えて、日本語として脳ミソが理解している、つまり先にも書いた様に『暗号解読』をしているのに他ならない訳です。さて、この様に書いて来ると、英語のエッセーを書いていらっしゃる「燕のジョー」氏の文章かと思われそうですが、そうではありません。

今何を主張しているかというと、石場先生がおっしゃるには、実は西洋音楽もこれと同様で、私達日本人は、一旦、日本音楽に置き換えて聴いているというのです。

ちょっと僕が補足説明しますと、確かに音楽ならば、別に英語の文章を聴く訳ではないので、意味もへったくれも無しに、聴こえるままに、その音や旋律を聞いているんじゃないのか?と思えるのですが、初歩ではそれでも良いのでしょうが、例えば競技選手のトップクラスともなれば、これは多くの外人コーチや日本の先生からもそういう話を耳にしましたが、やはりそこら辺の理解がないと、インターナショナルな、又は国際的な選手権大会などでは好成績は取得できないとの事です。  

多少次元が異なる私事で恐縮ですが、僕が中部選手権でアマチュア・ラテン準優勝をし、ターンプロする時期に、ロンドンでダンスの勉強から帰って来る度に、僕のラテンの師匠の古田(ふるた)(はじめ)先生はいつも、『内藤君、演歌を聴いたらいかんぜ。せっかくの英国の音楽耳がダメになるよ。』と厳しく、冗談半分に、しつこく言われました。それも一種こういう事だったのだな~と思っていますが、今現在僕は、演歌を聴かないどころか、大好きで、しかもカラオケで演歌を歌いまくる始末なので、これで大成しなかったのだと、古田先生にあらためて、申し訳ない気持ちで一杯です。

(第4回目はここまでです。段々とちょっと難しい、“西洋的な音楽理解”のお話しになってきました…( ゚Д゚)……)

コメント

タイトルとURLをコピーしました