(66)公人の失言に思う…『ボクシングやってる女の子を嫁さんにしたら、夫婦げんかのたびに殴られるな(*_*;』 はアウトか⁉

世の中の出来事
『ボクシングやってる女の子嫁さんにしたら、夫婦げんかのたびに殴られるな!!』

皆様、お元気で、晩夏というか初秋を楽しんでおみえでしょうか?さて、本日は公人の失言というか、ものの言い方などにあれこれ思いを馳せてみようと思います。もうニュースは時が経つとすぐ忘れられてしまいそうですけれども、張本勲さんですね、まあ頑固でごっつい、 元スポーツ選手の功績者、野球解説者、おじいさんという感じです。もう一月くらい前でしょうか?土曜日の番組で、関口宏さんの番組『サンデーモーニング』で、失言と言われる発言をしたんですよね。一部、他記事からの引用なのですが、こういう発言ですね。「女性でも殴り合い好きな人がいるんだね。どうするのかな、嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って。こんな競技、好きな人がいるんだ」と発言。「それにしても金(メダル)だから“あっぱれ”あげてください」と最終的には称賛していたのですが、女性や女子ボクシングを軽視する表現であると問題視され抗議文などが出されたということです。

まあ、またこういうと非難轟轟(ごうごう)のような気もしますが、わたくしなどは、これはおじさんやオヤジ世代の軽い感想じゃね~~かとしか思えないので、こういう発言に何も目くじら立てる必要もないんじゃないかと、正直思うのですがね~~(『相棒』杉下右京警部調)まあ、確かに張本さんは”公仁”ですから、そして、色々面白く思ってない芸能人などもたくさんいるでしょうから、ほんのちょびっとでも何かあると、問題視され、叩かれる傾向は非常に大きいとは思いますがね。

じゃあ例えば彼が『わぁ可愛い子がボクシングやってるんだね。もしこういう人をお嫁さんにしたら、夫婦喧嘩の度に殴られるね!』などというような冗談を言ったとしたら、これは公的な発言としては、例えばテレビの発言としてはアウトなんでしょうか? ここら辺は難しいところですね。例えばまた別のゲストが例えば女子の柔道を見て、『うん。女子でも柔道やるとなると、モデルの様に細くてプロポーションがいいなんてのは非力だからダメで、多少どっしりしてないとな、かなり太ってた方が断然有利だよな!』などと発言したら、やはりアウトでしょうか?ここら辺はやはりセクハラというようなことが含まれているかいないか微妙なところですが、こんなのは当然、家庭で家族がテレビを見ながら話すとか、友人同士であれば、別に普通の会話でポンポン出てくるような発言だと思います。

野球のようなスポーツを好む人からしたら、社交ダンスなんて、男女がイチャイチャするチャラすぎる軟派なレクリエーションで、『人前で抱き合うんじゃね~よ、ばか野郎』って感じでしょうね。一理ありますね。でもそれを、公人が公的発言で言ったら、やはりアウトでしょうか……

それに実際、わたくしもそうですが、『いや、女同士でボクシングなんて怖いなあ。野蛮だな…。』という感じはします。だってわたくしなんかはまだ色々人を攻撃したりする戦闘的な性格ですけれども、もっとおとなしい人だったり優しい人だっている訳ですから、当然そういう人からすれば、剣道とか柔道、ラグビーなどの荒々しいスポーツや格闘技のボクシングなどはお互い攻撃し、闘う訳ですから、ひょっとしたら怪我をするかもしれないとか、そういう懸念もたくさんあって、当然、そういうスポーツを積極的に勧める人と、そういう、ケガや事故の可能性の強いスポーツを絶対勧めない人と、両方考え方があると思うのですね。しかも、パラリンピックなんかの開会式の宣言?の時にも言われたように、人はみんなそれぞれ違う違う個性があるからこそ人間なんだというようなことを、都合の良いときは引用する割には、こういう公的な発言もそうですけれども、何かやはりこういうのは良い、こういうのはいけないという方向性がすごく、今の世の中、決まってしまっているように思えます。

確かに誹謗中傷したり、例えば『ボクシングは世の中にあってはいけないスポーツだ』というようなことを言うのは、ボクシングに対する侮辱かもしれませんが、しかしスポーツや趣味に関して話題にすれば、例えば『俺はあんなスポーツ嫌いだで絶対やらん!』とか『あんな趣味は気持ち悪いよに、よくやる人いるよね?』な度という会話は、世の中の物事の好き嫌い同様、よく話される感じがします。なので難しいところですけども、先ほど言ったように、公的な発言としてはどこら辺で線引きするのでしょうか?例えばまたボクシングの話ですけども。『俺、あんな風にボクシングやってる女の子と付き合いたいなあ。だって、 何かあった時にボディガードになってくれるじゃん?』このような発言をしたらこれは? ボクシングへの侮辱になるのでしょうか?それかボクシングをやっている女性を面白おかしくジョークにしたという点で、やはりまずい発言なのでしょうか? まあ、確かに張本勲さんの発言はギリギリの点でいけないような気はしますが、ごく普通の会話だと思いますし、更に以前、東京オリンピック組織委員会・会長の森喜朗氏が、『女性の委員が増えると会議に時間がかかる』という趣旨の発言をして、失言と叩かれました。(客観的に考察できるように、発言の全文を掲載しますと以下のようです。(当時のニュースから引用)…これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまり言うと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。』

この発言も、わたくしが思うには、ある意味全然問題ないのでは?と正直思いますし、もっと言えば、女性を尊重することを、むしろ婉曲というか遠回しに、照れて言っているようで(ちょっと美化しすぎか?)素晴らしい発言ではないかという側面もあると思えます。要するに、元々女性は精密に議論をしてくれるので、当然しっかり審議して時間が長くなるという積極的な意味に解釈できますし、確かに女性を皮肉ったセクシャルハラスメント、又はパワーハラスメントの発言と言えばそのような気もしないでもありませんが、これは男女間のジェンダー(の差の) 1つの解釈論として全然問題ないように、わたくし自身思います。

そうするとまた別の人が、時代遅れだから、そういう感覚がわからんのだわと厳しく糾弾されるような気もしますが……。世論やマスコミが無理に方向付けをすごくしているような気がします。かたや個性は自由といいながら、もう一方ではどんな些細な発言でもパワハラ、セクハラという風に、ドンドンいちゃもんをつけられる気がします。何か皆が全て、同じく、これはいかん、けしからん、辞職せよという一方向にだけ強く意識されるように仕向けるというか、悪しき同一性志向というものが顕著にみられるような気がします。

なかなか文明が発展すると、そういうふうになるのは当然必然でしょうね。衛生観念なども、過去に比較すれば、すごく、高まり、例えば小学校のクラスで、1人だけ泥んこ遊びをしたままの手で給食を食べれば、他の同級生から、不潔だと総スカンを喰らって非難されるような、そういう時代になりつつあるような(というか、当然もうなってる)気がしますし、それこそSF映画のように、もうあと50年、100年経ったら、どの家庭にも政府直通の盗聴器というか音声記録機器が備えられて、各家庭の家族の普通の日常会話、もしくは恋人同士の会話、もしくはベッドでのセックス中の会話などの全てが、政府のそういう検閲機関に筒抜けになるような時代が、そういうSF映画のような時代がやはりくるのではないでしょうか?(終了)

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