(288)能登半島大地震に想う(特別寄稿・その3=最終回)

世の中の出来事

本当に恐ろしい、そして、私のなぜか、心の故郷の様になっている、頻繁に行き、もう今までに100回を超えるほど訪れた能登半島が、あのような大惨事になり、心が痛みます。それで、先回からの都築としては、受験生などの状況を書いていました。

 彼らは、教科書すら無い訳です。教科書というよりも、今まで受験勉強に費やした莫大ないろいろな事柄を書いたノートですね、そんなものが一切なくなってしまったら、もうとてもショックで受験勉強など手につきませんし、精神的に例え気力を取り戻して頑張ると言っても、友人たちも被災しても無傷だった友人たちが『参考書を貸してあげる、教科書を貸してあげる、ノートを貸してあげる』などと言ったって、自分専用にいわばカスタマイズした受験勉強環境が、そんな1週間2週間で戻る訳も無いのでこれまた、絶望的に大変ですし、大体そんな風に優しくしてくれる友人がいるとは限りません…。だって身の回りだってみんな被災しているのですから、多かれ少なかれ受験生といったって、そういう受験環境は、もはや紛失というか、喪失しているでしょうから、友達を助けるなんて言うことよりも、まず自分の環境を実現できるものならば、復興する方が最優先でしょう。

なので、ほとんどこれは東北大震災の時などでも聞いたことがありますが、もう受験は諦めねばならなかった。受験どころか明日からの命をつなぐ生活すら危ぶまれる…そんな悲惨な状況でしょうね。とにかく。手ぶらで何も持たずに避難したらそれで運がよかったと思えるし、まして、家にタンス貯金のようなものがあった場合、何もそれを証明することができないので、200万円家の中に蓄えておいたとしても、それを証明することができなければ取り戻す手立てもないし、だいたいそんなことを有効にしてしまえば、もともとタンス貯金などしていなかった人も『俺は50万、俺は1000万円箪笥(たんす)に置いていたんだ』というふうに嘘の申告をする人が続々出てきてしまうことでしょう。

若者もこんな風に被災したら、全然生活が立ち行かなくなってしまいます。たとえ自分の家が倒壊せずに残っていたとしても、近隣が全壊したり、道路が隆起してひび割れたり、またそんな状況であれば、生活に必要な物資も入手困難だし、学校も旧港で、当然自分の受験生活や勉強もスムーズに進行する訳がなく、将来がとても不安で、恐ろしいですね。身震いがします。

皮肉な意味でみんなのとの能登半島のことをしっかり理解することになってしまいました。珠洲市(すず・し)というのが『奥能登』呼ばれている地域にあります。能登半島の突端の更に東側に向かって突きだした陸地の部分の少し下の方なのですが、その『珠洲』という文字はこのような漢字なので、『じゅす』とか『しゅしゅう』とか読んでしまって、わたくしも最初読めませんでした。当然、何回も行ってる内に、その地名には習熟しますが、能登半島のことを全然知らない人もいるでしょうから、初めてその名前を聞いた人も多い事でしょう。

最初にも書いたように、この珠洲市(すず・し)というのは、最近一番よく行く地域で、珠洲市の道の駅『すずなり』なども、以前去年の春かさらに一年前の春などの地震の時もかなり揺れたというニュースを聞いた覚えがあります。

さらにわたくしがよく宿泊する民宿が蛸島(たこじま)という街にあり、ニュースにも出ていました。そこにある民宿『むろや』に宿泊するのですが、ここは食事がとっても美味しく、魚関係のものをバンバン、食べきれないほど出してくれるところなのです。去年の夏(2023年夏)宿泊した時は、本当に大きい20cm 4方ぐらいの岩ガキを出して下さり、本当に大驚愕しました。とても美味しかったのよく覚えています。

その民宿『むろや』さんもどうなってしまったとても不安でしたが、一応ホームページなどを見たところ、店主らしい人から今は物資も滞っていて、とても宿泊には応(こた)えられないけれども出来る限り再開したいと思う…の様なことが書かかれてあったので、命だけはどうやら無事だったようです。本当にわたくしとしては何もできませんが、心だけは深く、順調な復活を祈っております。

(第3回目はここまで。とりあえず今回のタイトルはここまでです。特別寄稿でした。お読みいただき、誠にありがとうございます。忌憚や遠慮のない感想をお聞かせくださいませ。また、皆様のいろいろな意見もお聞かせくださいませ。何卒宜しくお願い申し上げます。)

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