(174) 死後の来世に備える(第1回)

世の中の出来事
死後の来世に備える

最近だんだん、まあ、わたくしもそんなに若くはないんだけれども…この年になって初めて、何か段々と生きる気力が半減したというか、そんな気がいたします

ひとつにはやっぱり。 前にも書いた殺人ショーの様に、ああいう風に安倍総理が銃撃されて亡くなる…しかも生々しい映像が全国版のニュースで流される。本当に世の中怖いというか、身震いするような恐怖というか、こんな世の中でぶるぶる震えながら、怖くて生きていけるんだろうかな…という気持ちに本当になります。 (このエッセイを書いたのは、2ヶ月弱前です)

まあ、前にも、ここやFacebookにも書きましたけれども、年配の先生がダンス関係の総会で、心筋梗塞のような症状で倒れられたり、まあ、同期の仲間が胃がんのステージ4だとか…そして、わたくしの友人のガールフレンドは、重病の手術後に、それは順調に執刀されたにもかかわらずに、その後にイレウス?の様な状況に陥り、今ももう半年以上経過したにもかかわらずに、植物人間として意識が戻らずに生きている…病院のベッドに横たわっているという有様なのです。

前述の、わたくしの同期の胃がんの先生も、今はもう生きているかどうか判らないし、わたくしもこのように結構年齢がいってから、周囲の人たちが病気になったり、世の中も、文明が進む代わりに、かなり人心が荒廃してきたように恐怖の犯罪も多いし、そんなこんなの感じで、本当に正直、心底から、生きる気力が半減してきているというのが、今の心情です

小さい頃は、大人になった時の事など想像する事すらできないので、世の中で成人して、そして人がこれから老年を迎え、老年をやや経過して、もうあと10年ぐら生きれたとしても、終活をして、そして、これからやがて死んでいくという時に、死んで行くという事が大変とか簡単とかそんなことすら想像したことはありませんでした。しかし今、やや年齢を経たわたくしが思うには、それはそれなりに大変そうな感じがして、本当に何か、年齢を経た事もそうですが、もう色々体力や気力も衰えたと言うか、正直、生きる気力が半減したような気がします。

でも逆に、ある意味、最近は死後の世界の事とか、そういう事を非常に多くの時間、考えてしまいます。まあ、ひょっとしたら、死後の世界なんてものはなく、霊魂の世界もなく無の状態になって、また別のところで生まれ変わる、いや、生まれ変わることも無く、全ては無に帰する…もちろん、そうであれば“自分”という存在も意識も無くなってしまう…ということかもしれませんし、そうであれば、当然、もうこの自分というものも永遠に存在しないままなのでしょうね⁉

わたくしの大しゅき能登半島のマニアックな県道29号線を紹介しながらも、『死』や『輪廻転生(りんね・てんせい)』に関するトークをしております。お楽しみくださいませ。

また、大好き能登半島のドライブ動画(埋め込んであるので、ぜひご覧くださいませ。長いので、ゆっくりコーヒーでも飲みながらお楽しみくださいませ)でも述べたように、もし生まれ変わるということがあるならばのお話しですが、その時は人間に生まれ変わる(れる)のでしょうか?それとも動物、昆虫、果ては植物にまで生まれ変われる可能性もあるのでしょうか?というか、それこそ入学試験のように次に生まれたい、生まれ変わりたいものの希望を出して、試験があって合格すれば、希望のものに生まれ変われるのでしょうか?

そんな時に、もし高所恐怖症だった人だったらば、鳥に生まれ変わりたいなどとは言わないかもしれませんが…という少しばかりの笑い話もそのドライブ動画ではしていますので、こちらの方も(を)是非ともご覧くださいませ。(第1回目はここまで。第2回目に続きます。)

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