(259)世の中にとって良い事をするのは、マウントを取るのと同じか⁉

世の中の出来事

世の中に対して、何か良い事をするというのは、自分が優位に立って、マウントを取るということに共通するのでは?と思うことがあります。ちょっと難しい話になるかもしれませんが、世の中に大変稀でありますが、こういうことは 時々ありますね。例えば、自分がいま仮りに、工場従業員などで、非常に横暴な上司とか、性格の悪い上司がいて、自分の仕事の不手際をネチネチと指摘されたり、お前はこうこうこういうふうだから無能でダメなんだというふうに、いつも毎日説教されていたりしたとしましょう。

当然、ストレスが溜まり、それと同時に、自分は社会の底辺の人間なんだと思い込み、それによって何かむしゃくしゃしたと感じて、放火するとか火をつけるとか、よくニュースなどで聴きますね。

まあ、こういうふうにあまり定式的に書くと、それは差別システムになってしまう…差別思考になってしまうので、よくはないと思うんですけれども、ただ、そういうような状況になって犯罪を犯してしまうということが、結構ニュースなどで報道されることもあります。

そうではなくて、逆にある意味経済的に余裕があって、週に3回働いていればよく、齷齪(あくせく)せずにのんびりしているような、そして教養もあるような人間だと、例えば、これも相当稀なケースではありますけれど、踏切で動けなくなっていた高齢女性を助けたりして、一種の人命救助をして感謝されたり、またそこまで行かなくても、例えば駅への道がわからなくて、困っている人に丁寧に教えてあげたり、重い荷物を持って歩道橋を渡れなくなってしまっている、そういう高齢男性に対して、少しだけ荷物を持って一緒に歩道橋をわたってあげる…又はちょっと夏の暑い日に、ぐったりしている人に冷たいジュースなどを、又はミネラルウオーターなどを買ってきて差し上げる…などというようなことをした場合、当然、その人は少しはこういう風、以下に書くように思うでしょう。

自分は世の中の役に立った…そして自分は、だから生きている価値があるんだな…というふうに、多分少しでも無意識的にしろ、謙虚な人であれば無意識的にかもしれませんが、その様に考えるでしょう。

だから自分は役に立たない、ある意味“存在弱者”というか、前の部分で述べたような、生活しながらも、弱く、多くの人たちからいじめられたり、虐げられたりする人たちよりは、かなり上の存在であって、役に立つ存在なんだ…ということで、こう考えると、そういう優位に立つ人は、やはりマウントを取っている状況だなと思えます。『マウントを取る』という言葉自体、昔は無かった表現ですが、要するに、ある人や集団よりも、立場的に優位になるという意味ですね。

上記に書いた様に、人に優しくする、手助けをするなどをすれば、お互いに色々な感情が生じるでしょうが、人は何のために生きているのか…と言えば、マウントを取るために生きている…というとオーバーではありますが、結果的にはやはり人はそういう風にして自己満足感というか、自己肯定感を持つことによって、より良く快適に生きられるのではないでしょうか?

人間という存在は、やはり「種の保存」という様な生存競争的な面から、どうしても、他者よりも優位に立とうとする事は重要なので、上記の様な状況になるのでしょうね。

以上のことを考えれば、やはりそういうマウントを取るような状況を、より多く増やしていこうとするのが生きるということにつながるともいえます。今回はよく判らないような、何を言いたいのか不明なようなエッセイでしたが、お読みいただき、まことにありがとうございます。

(今回のトピックはこれで終了です。)

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