(228)ダンス関連…相当マニアックな記述(音楽の捉え方について)【第6回】

ダンサー内藤の解説シリーズ

さて、よく言われる事ですが、アジアの言語とか日本語は、もっと平坦(発音的にも平坦)なので、もし日本語の歌であれば、通常こうではなくて、やはり、文章や言葉の初めから、淡々と3拍子の第1ビート目から、歌詞を配置する事になります。なので、(以前学校で実は習っていたとかの予備知識無しの)皆様の多くは、図1.の様な3拍子と思われても無理はありません。ちなみに、図2.ではハッピー~という歌い出しの単語は、第1拍目には一致せずに、第3拍目からの歌い出しになりますが、こういう状況を、音楽的用語で『弱起(じゃっき=アウフタクト Auftakt)』と言います。

先回もこの楽譜を引用しましたが、こうと思いきや、実は、あとに、これも再度引用の『図2』が正解でしたね。

僕は、カラオケでも同行者の皆がダンスを踊れるようにと、ワルツの『ファッシネーション』、『テネシーワルツ』、ブルースで先述の『フロム・ロシア・ウィズ・ラブ』(“ロシアから愛をこめて”⇒これは007ジェームズ・ボンドの映画のテーマ曲です。)を英語で歌うのですが、この様に重要な単語を、ポンポンと強勢の拍に配置するという事がよく判ります。これらの曲は、普通のカラオケ店のDAM(ダム)というカラオケの機械にバンバンに入っておりますから、皆様も一度ご経験下さい。別の例も書いておきますが、石場先生が引用されるには、実は、有名なベートーベンの『運命』もこの弱起=アウフタクトなのです。子供達でも運命を喜んで、ジャジャジャジャ~~~ンなどと大声で言いますが、実は精密には、そうではなくて、ジャジャジャジャ~~ンと言うように、最初の音は、無音なのです。この様に弱起(じゃっき)はすごくたくさんあるのです。

これが“アウフタクト(=弱起)”ということなのですね。

さて、それではその背景にある、大げさに言えば、西洋と東洋(日本)の民族的相違とは何かについても、石場先生の解説をお話ししたいと思います。たとえば、TVなどで、相当日本語が達者な外人でも、『私が思うには…』などと話す場合に、『わたしがおもうには…」という様に非常に高低と強弱が強い、如何にも外人とすぐにばれてしまう様な発音になります。こういう事を見ると、やはり私達日本人の発話がいかに“平坦”で、淡々として、強弱に乏しいものであるかが判ります。よく言われる事なのですが、西洋は、狩りをする狩猟民族ですから、やはり獲物を追いかけたり、逆に獲物に逆襲されない様に、いつも『移動』するという事が、動作の原点なのです。これに対して、日本民族は、弥生(それか縄文)時代からでしょうか?農耕が原点なので、狩猟民族の様に、あちこち渡り歩くのではなくて、一ヶ所にドッシリ根を降ろして、種をまいたり、収穫したりの、『定位置に存在する』という事が大元なのです。なので、例えば興味深い事実として、以下の様な事もあると、石場先生がお話しでしたので、ご紹介します。

(今回はここまでです。『興味深い事実として、以下の様な事もある。』と興味をそそっておいて、次回というのもまことに申し訳ありませんが、長くなってしまいますから、今回はここまでです。次回をお楽しみに。)

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