(229)ダンス関連…相当マニアックな記述(音楽の捉え方について)【第7回=最終回】

ダンサー内藤の解説シリーズ

それは、日本人と西洋人の、音楽の速度の認識に関する事なのですが、例えば速い速度(クイックステップの4拍子など)に関してですが、日本人の場合は速いという事を、“拍と拍の間が短い”と認識するのに対して、西洋人は“音符が速く移動する。”と認識するというのです。もちろんどちらも同じ内容を表現を変えて表わしているだけで、同一の事を認識しているのですが、狩猟民族の西洋人は、いわば音と一緒に動こうとして速さを感じ、ドッシリ根を降ろしている農耕民族の日本人は、音を外側から客観的に眺めて、その間隔が狭いと見ているのでしょう。こう言う細かい生活原理や長い民族的経験則に起因する様な差が、もちろん音楽以外の多方面に亘って存在する訳で、音楽ひとつに関しても、かなりの差異があり、西洋生まれの社交ダンスを、根底から深く理解しようと希望するならば、その大元の、音楽の認識の仕方、はたまた山中先生(おっしゃ)るような、重心(動きの中心)の持ち方の認識などに関しても、西洋人の認識や方式がどの様になっているかを考察せねばいけないという訳です。

東洋人(農耕民族)は音を“静的に把握”し、西洋人(狩猟民族)は音を”動的に把握”するって、本当かな~~…( ゚Д゚)…

音楽自体に関しても石場先生が仰るには、西洋の“家”というのは、石造り(例えばロンドンなどではレンガ建築が古来からの建築法)なので、音がすごく響くから、“和音”が発達して、色々な音が同時にいかに調和して演奏されるかが重要なのですが、東洋の場合、家は木で作るので、音は吸収されてしまい、西洋の様には“反響”しません。なので、伝統芸能の音楽である『能』などでは、音は、時間をずらして演奏され、それで()びとか(さび)が楽しめるという事らしいのです。つまり西洋音楽では、一緒に多くの音の響きを楽しむ同時性が重要で、日本人にとっては、単音が発達して、ちょっとずれていた方が納得できるという事なのです。それに今でこそ日本の音楽も西洋化して、五線譜で書ける訳ですが、元々琴や能の音楽は、音も等間隔で表記できる訳ではないので、西洋音楽と色々な意味で根本的に異なるのです。地球上の音楽で、五線譜で書ける西洋音楽というのは、約4割くらいとの事です。

さて、ちょっと余談になりましたが、この様にダンス音楽においても、西洋耳、日本耳などという相違がある様です。あと、3拍子というのはやはり偶数でない“奇妙”な拍子として大昔には無かったのですが、馬の走り方から、ヒントを得て誕生したとか、色々私達ダンス人にとって有意義なお話がたくさんあるのですが、又機会を見て、教養講座などの講師として、石場先生を招聘したいと思っております。

ところで、石場先生は、ここに表紙を掲載しておきますが、『社交ダンスはリズムで踊れ!(足型いらずのダンスレッスン)』という本を出していらっしゃいます。この中に、多少上記で解説した様な事や、更に、全世界の音楽の分類など、そして更に音楽の構造や、音響や音楽製作の仕組みなども、よく判る様に説明されていますので、非常に有意義です。総務で保持しておりますから、読みたい希望の先生は、内藤までご一報下されば、お貸し申し上げます。ところで、同じように、ダンス音楽を非常に判りやすく解説していらっしゃる、(そして前回の教養講座の講師でもあります)ぺぺ&カルメンの鈴木(すずき)俊夫(としお)先生が出版されております『ダンス音楽のABC(社交ダンスのための楽典)』も、非常にお勧めなので、その表紙も並べて掲載しておきます。(7回に分けて掲載しましたこのエッセイも、今回をもって終わります。また次回からは新しい話題をお楽しみにしてくださいませ。)

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