(86)かわきも100グラム10円、かしわ屋さんで。判る??②

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鶏ガラ(とりがら)とは?

担任の先生が一日おきくらいに課題のプリントなどを、家まで持ってきて下さり、少し教えてくれた覚えがあります。長じて大人になり、それからわたくしは、高校の数学の先生になったのですが、(さらにその後、先生をやめて、ダンスのプロになりました)その先生の時に考えると、自分が小学生の頃に、どうやって出席日数とかそれでOKだったのか不思議な感じがしますが、ま~昭和の時代ですから、大らかな時代だったのでしょうね。それで、合計2年分くらいの欠席日数でも、義務教育では、あまり留年ということも聞いたことありませんものね。それで、あまり厳しいことはなかったかもしれません。

ところで、わたくしの家には“ラッキー”という名前の真っ黒いポメラニアンがいました。(真っ黒のポメラニアンはたいそう珍しいのです。)それはまもなく売られて、どこかに行きましたが、その代わりに“コロ”という今度は普通の茶色い色のポメラニアンがやってきました。読者の皆様は、そんな貧乏なのに、なぜポメラニアンのような高級な愛玩犬が買えるのか不思議に思われるかもしれませんが、父親は若いころは養鶏場を経営しており、その後鳥獣店にも出入りしていて、そういう犬のブリーダーのようなことを半分趣味でやっていたので、そういう意味で子供産ませる役として、メスのポメラニアンが家に来たのです。しかし、父親がそんな鎮静剤中毒というキチガイのような病状なので、そういうブリーダー的なことは何もしませんでしたので、そのポメラニアンも子供を産むことはありませんでした。

ところで、その犬のために、同じ鶏肉店で、『ガラ』というのを、よく買ってきました。前回述べたような、100g10円の“かわきも”を買った同じ公設市場のかしわ屋さんです。『ガラ』とは『(とり)ガラ』ということで、こういえば皆様にもお判りでしょう。ラーメンとかに込みなどを調理する際に、鶏ガラスープを煮出したりしますが、その際の『鶏ガラ』です。今でもそういうのを数時間煮込んでスープを作られる方が多いと思いますが、当時は10円でそれこそ5、6体の鶏ガラが買えたのです。今は鶏ガラも、スープを作る際に必要な、重要食材になったので、それなりの価値を持って結構高く売られているのではないかと思いますが、当時は捨てるのようなものでしたから、ただでくれるような店も多かったように覚えています。

(とり)ガラ』といってもピンと来ない人もいらっしゃるかと思いますので、説明すると、鶏の頭蓋骨の部分およびその頭部から繋がった長い骨(これには白い骨髄?が入っています)およびその背骨にくっついているあばら骨から成っています。要するに、ニワトリの骸骨のようなものです。それを煮出すとすごくいいスープが取れるので、前述のように、鶏ガラスープでラーメンを作ったり、色々な料理をするのに利用するのですが、うちではそのワンちゃんのご飯というか、餌に頻繁に毎回使われていたのです(そういう点では結構、ワンちゃんにとっては優遇でしたね)それでよくわたくしが自分で鶏ガラを茹でる、煮出すというか、煮るようにして、そして煮あがったものを、コロと分け合って食べたのですが、さすが犬は畜生と言われているだけあって、わたくしが鶏ガラを与えているのに、その鶏ガラをちょっとでも取り返そうとするそぶりを見せると『ウ~~~』と(うな)って、すごい剣幕で怒りだすのです。『全然この鶏ガラがどこからやってきて、誰の努力によって食べられるのか理解してないな、コロは‼』とわたくしはよく思ったものです。 さて、最初の表題の『かわきも』というのは要するに、 鶏肉の皮の部分が大半で、時々キモ(レバー)が入っているので、そういう風に呼ばれると思いますが、何せ安いくず肉のようなものと言うと言葉が悪いんですが、普通の肉ではなくて、ほとんど皮の部分のみであまりレバー(きも)は入っていた覚えはありません。 要するに、かわ(皮)だけですね。ただ、似ると、何か弓なりに沿って、それは、なかなか噛み応えがあって結構おいしかったことは覚えております。何せ、貧乏だったのか、食事が偏っていただけなのかはあまりよく覚えていませんが、わたくしは、そういう、幼少時、小学校、中学校の1年生のころには、牛肉や豚肉などはほとんど食べた記憶がありません。(ただ、なぜか青物のホウレンソウだけは、いつも食卓に倣っていた覚えはあります。と言っても、母親が家出していた期間が長いようで、その時は、父親が何か料理をこしらえてくれた覚えがあります) こういうと、非常に恐ろしい状態のように思われますが、せいぜい“かわきも”ぐらいが、我が家では最高級にして唯一のお肉だったのではないでしょうか?わたくしは焼鳥屋とかには、今現在までもほとんど行ったことがないのですが、焼き鳥の中に何か『鳥皮(とりかわ)』というのがあって、皮の部分がちょうど唐揚げのようにパリパリに(あぶ)られているのではないかと思いますが、そういうような状態に、『かわきも』も煮るとなったような気がします。以上、小さい頃の『かわきも』の思い出が時々の売りによぎりますが、それは決して、悲しい貧乏な思い出ということではなくて、何か切なく、ちょっと楽しいような、大昔の昔日のセピア色の記憶で、頭に引き出すと、懐かしくて、もう一度絶対あの頃に戻りたいという感じです。(終了)

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