(187)超悲惨な老人運転死亡事故(第2回)

世の中の出来事
老人交通事故その2

また、こういうのもあります。時々わたくしもスーパーなんかで買い物をするのですが、スーパーの駐車場に自動車を駐車して降りようとすると、隣でお爺さんとかが自動車を止めて、わたくし同様に降りてきたりするのですが、本当によぼよぼなんですね。それも特別な場合というのではなくて、もう2回も3回も(わたくしの大好きな、いつもの深夜出発ぶらりひとり旅で行く目的地の、お昼の)能登半島の旅行中も見かけたことがありますが、本当にもう自転車に乗っている老人よりもよぼよぼな老人が、歩くのもおぼつかないような老人が自動車から降りてくる訳です

それも、ある意味当然と言えば当然です。なぜかといえば、当然、自転車のような二輪よりも自動車の運転はしやすいからですね。自動車に乗っているということは、ほとんどこたつに中に入って座っているのと同じような状態ですから、考えてみればそういう風に運転がどんどん楽になっているというのも、本当は皮肉なものでして、運転席に座っていた方が楽なので、自転車等よりも気楽に運転を続けられるわけです

そういう五感とか感覚が鈍くなった老人も、自動車が自動運転とか、快適になればなるほど、どんどん運転しやすくなるということですものね。だから本当に咄嗟の判断力とか何か飛び出してきたときとかに急ブレーキをかけるとか、そういう判断力が失われていても、普通の運転は何の問題も無くできるのです。(だからこそ、何かとっさの非常事態になると、もうパニック)

けれども、それはもっと深刻に深く考察すれば、普通に走行している時ですらもう、オーバーに言えば、右車線であるのか左車線であるのか歩道であるのか車道であるのかの判断もすごく鈍くなっていても、一見普通に運転しているという事ですからね

そういう状況なので、例えば左折したら、気づかずに歩道に乗り上げて走ってしまったりとか、信号交差点を急いで右折しても、当然、年を取れば一つのことにしか集中できなくなりますから、右折をするいうことに一生懸命であって、右折先の横断歩道を人が歩いているとか、そういうことなど考えつく能力すらもう薄くなっているのではないでしょうか。そして、歩行者に初めて気づいて、しかも慌てていて、気が付くのも遅くなり、更には撥ねそうになり直前であわててブレーキを踏もうとしても、それが逆にアクセルを踏んでしまったりして急発進し、そしてその後100mぐらい暴走、それもすごいスピード=80キロぐらいのスピードでアクセルを踏み続けて暴走してしまうなんてこともあり得るわけです

実際、前記のような、運転席から降りてきたら、本当に歩くのもおぼつかない様な高齢のおばあちゃんとかおじいちゃんのようなドライバーを、最近は特に見かけます。

そして、更に、以前もう2年くらい前でしょうか…わたくしがスーパーの駐車場に駐車しますと、わたくしの2台分ほど左隣で、自動車がやはり、駐車しようとして、バックで下がってきたのですが、その更に左隣の既に駐車してある自動車に、ドン、バリッとぶつかったのです。バンパーなどが軽く損傷しました。でもぶつけた自動車からはすぐには誰も降りてこず、その後降りてきましたが、まさに前記のような、半分よぼよぼのおじいさんなのです。それで自動車から降りてきても特に何もせず、ぶつかったことも特に気にせずに、普通に買い物に行こうとするので、本当に驚きでした。それでわたくしが『今ぶつかりましたよ。衝突しましたよ』といってもあまり確固たる反応が無いので、わたくしがそのスーパー(フィール)の店長さんを呼んで状況を説明しました。

なので、高齢者は免許を返納した方がいいとか、いろいろ世間では言われていますが、そういう現実を目の当たりに生々しく見ると本当に痛々しい感じがします。 都会に住んでいる老人たちも、一人暮らしとかだと、それはそれでバスや地下鉄を乗り継いで買い物に行く大変さを思えば、若いころから慣れ親しんだ自動車の方が抜群に楽でしょうし、山間部とか郊外に出れば出たらまた、公共交通機関も無く、田んぼや森林が延々続いているところを長時間歩く訳にもいかず、自動車での通勤や買い物になる訳です。そして現代は自動車などもかなり工夫すれば、安くキープでき、カーシェアとかサブスクとかで自動車を維持することができるので、80歳90歳になったとしても、やはり不便ではかなわないから、自動車を運転し続けるという人が多いのでしょうね。実際、なかなか。 悲惨な現実となっています。そんなことを考える今日この頃です。(この項終了)

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