(163)人間関係過敏症…60年間友人ひとりも無し(その2)

世の中の出来事
人間関係過敏症その2

まあ、確かに物の本などを読みますと、人生において、うまくいかない時や苦しい時に支えてくれる友人がいて大丈夫だった…『もしにっちもさっちもいかなくなったら、自分が1、2年は助けてあげる』とか、そんなことを言われれば確かに、心の支えができて、頼れる相手がいて、やる気がみなぎってきて再び活力を取り戻し、持ち直すということもあるでしょうが、自分としてはそういうことは全く想定できないというか、何せ、友人なんていない訳ですから、全く期待できそうもない人生を歩んできましたので、そういうのにも慣れています。確かに後悔していることと言えば、友人とかもいないと“人脈”というものを開発できないのです。なんにせよ、一匹狼でやっていかないといけないので、今時々Facebookなどにも書いてますように、イラストを書いたところで、書きっ放しで、皆に無料で見せるだけのことで、誰もこのイラストを買い取ったり、売って銭になるこういう道があるよなどと教えてくれる人は一人もいませんし、それを紹介して売り込むような相手の心当たりも、何せ人脈が全くないのでどうしようもありません。

そういうことは確かに悲しいかなと思います。そして、わたくしもそんな状況で育ちましたので、中学校までは多少いじめにあったりしてもいましたが、そんなに深刻ないじめはありませんでした。わたくしは非常に、真面目な、あまり目立たない勉強優先のタイプで、仲間とともに群れで行動することなどはほとんどなくて、いつも孤独でした。でも自分では孤独という事は、そういう頃にはほとんど感じませんでしたが…。何せ、幼稚園も行っていないので、そういう集団行動に全然なじんで無くて、集団行動自体が頭の中に無いので、孤独であったとしても、孤独と反対の状況を経験したことが無いので、したがって、孤独自体を“認識”することも無かった訳です。日々の悲しいことや楽しかったこと、将来のことなどについて語り合う友人は、正直、ひとりもいませんでしたし、そういう事を語ろうとする気持ちもほとんどありませんでした。

まあ、確かに少しは仲が良いという友達は全然いなかったかと問われれば、ちょこっとの時期、存在したような事もあるにはありますが、心の中まで見せ合うような、そういう話をするような友人は、一人もいませんでした。という状況もありますが、何せ、ほとんど知識もなく、小学校も、親の溺愛によって4年生くらいまでは2/3程休業しているので、他の生徒と一緒にいても、普通何をするものなのかという認識が全然育ってないのです。

よく友人がいると世界が広がる、人生が豊かになる、だから是非友人を作りなさいなどと言うことを聞きますが、確かにそれも一理ありますが、わたくしにとってそれは例えば『外国に行けば景色が広がりますから、人生も変わるかもしれません。 外国へ是非一度は行きましょう‼』と言っているのと同じような気がします。実際に大学2年のときにコロンビアという、愛知県名古屋市中区金山橋(かなやまばし)にある喫茶店で深夜バイトして、それで少しお金を貯めて、その年にアメリカにひとり旅行をしました。ただ、ひとり旅行と言っても最初は不安でしたので、行きと帰りだけを20人くらいが一緒に行動を共にするパックツアーで旅行に行きましたが、確かにアメリカに行ったことで、本当にかなり人生観は変わりました。 まあ、具体的にどう変わったというのは、長い説明が必要になりますが、やはり世界観が変わりました。世の中はこんなに広いんだということと、異国の地で言葉も少ししか通じない中で、(それはそれで、行く前に一生懸命英語を勉強してから言ったのですが、そのことひとつを取り上げても、目標ができて生活が変わった…)なるほど、こんなにも世の中は広いんだなということを、そして自分の人生がちっぽけなものに思えて、もっと多くのことを学んで、世界に通用するような男になろうと言うような気持ちになったことは覚えています。

(第2回目、ここまでです。第3回目に続きます)

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