(153)深夜出発の能登旅行は、人間をやめるためかと…( ゚Д゚)…(その2)

人生への疑問
楽しくも苦しい能登旅行

さて、156号線に合流するんですけれども、ちょっと場所忘れちゃいました。この先すぐ通るのですけれども、確か『下有知』何とかでしたが…

(編集部・注)添付の写真にあるように、“彼(ダンサー内藤)”は県道17号線を ずっと北上してきた訳なので。 この赤い〇印の『下有知椙ヶ洞(しもうち・すぎがほら)』という交差点に於いて、国道156号線(伊吾郎《伊吾郎》)に合流してそのまま北上を続けることになります。

地図上の文字が少し小さすぎるようで、まことに申し訳ありません。拡大してご覧くださいませ。赤い〇印が、県道17号線と伊吾郎(いごろう)=国道156号線が交わるところですわなも。

いつも通過直後には、写真を撮影したりして交差点の名前を覚えるのですけども、やっぱりそれはもう本当に一年に3回か3回しか行きませんからすぐ忘れてしまします。今は県道17号ということです。

それで、大きいお話しで、やっと今回のテーマなのですけれども、わたくしは、この様に深夜に名古屋を出発して能登半島へ行くのは、人間をやめるために行くのかも知れない…と最近思う様になりました。本能的な事でしょうか…。

どういうことか?わたくしも人間関係とかでは色々少しは悩む訳です。あまり悩んでいるとは自覚はしないのですけれども、ただ、やはりそういう煩悩?は心に澱(おり=何か濁った液体の沈殿物)のように溜(たま)っていくのでしょうね。いろいろ人にやさしくして、色々社交ダンスの普及をしようとか、そのためにYouTubeの撮影を長時間したり、また本当に色々自分としては、一生懸命世の中を良くしようと思って、ダンスや他のこと(英語講座とか数学講座とか)を教えるつもりなんですけれども…。そういう事が色々ストレスになったり、人と多少トラブルになったりとか…、でもそれは普通にお仕事をしていれば誰だって向かい合ったり、直面することですがね。

これは、あと二つか三つある、別ルートでの能登半島行きの内の、国道41号線を通った時のYouTube動画ですわなも。お楽しみくださいませ。

ああ、やっと今、前記の交差点に差し掛かりました。そうです。そうです。闇夜に、葬儀会館でしょうか…『ルネス美濃(るねす・みの)』の立て看板が見えます。この交差点が、上記の『下有知 椙ヶ洞(しもうち・すぎがほら)』なのです。ここから先の北側が、国道156号線(伊吾郎)になる訳です。

本当に心から最近思います。能登半島に行くのは、人間を…、あの止(や)めるために…行くのではないかという事を、特に最近思うようになりました。なぜこんなにも能登半島が好きなのか?精密に言うならば、それも勿論ですが、能登半島が大好きと言うよりも、この深夜の出発、深夜の旅立ちというか、深夜のドライブですね。ずっと国道156線(=伊吾郎)を北上して行って、そして、ずっとねこの儚(はかな)い、国道の灯りとか、こういう寂しい光景を見るのがすごく好きですね。本当に寂しいです。まあ時々民家があって、明かりがその窓に点灯しているとほっとしますが、でも、なにせ深夜ですから、もうそんな起きている人なんか、殆(ほとん)どいない訳ですよ。しかしコンビニとかありますからね。

さて、どうして人間をやめるためにこの行程に出発する…?人間を辞めるために行こうかなと思ったかということは、要するに、人間関係とかそういう事を全く関係ない状況、全くの“ひとり旅”で行く訳です。

あ、そうそう、今『下有知重竹(しもうち・しげたけ?)』と書いてある交差点を通過しましたね。信号交差点です。前述の『下有知椙ヶ洞(しもうち・すぎがほら)』の次に大きな信号交差点ですかね。

これは深夜ではありませんが…

本当にその、人間をやめるというか、要するに人間関係に何ら惑わされることく、煩わされることなく、一人になって、そのまま純粋に、一人の自分だけの振る舞いしか必要にならないので、心が全然疲れないということかもしれません、旅行中は。まあ、誰でもひとり旅に出ればそういう面は大きいとは思いますが…。まあ、でも本当にこうやって、特に寂しく孤独な深夜のドライブを、ずーっと長時間続けていると、色んな事を思い浮かべます。

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