(286)能登半島大地震に想う(特別寄稿・その1)

世の中の出来事

能登震災に想う……能登半島地震に関して思う事を綴ってみたいと思います。能登半島地震は本当に志賀町(しか・まち)、輪島、珠洲市(すず・し)…と考えすぎかもしれないが、わたくしがいつも、深夜ひとり出発ぶらり旅で鄙(ひな)びた民宿などに泊まって心を癒す唯一の“よすが”(=拠り所⁉)にしているよう、その三つの地域を、大打撃を与えるべく、誰かがわたくしを陥れようとしているかのような感じですらある様で、本当に、恐ろしく、今述べたことは、自分中心過ぎるとは思えますが、そんな風に感じられる、そんな恐怖の大地震です。

本当に東北大震災に負けずとも劣らないような凄まじい惨状で心が痛みます。もう能登半島に手軽に行くことも、ここ数ヶ月か、もしくは数年はできないような感じです。やはりこんな風に被災したら、人生はどんなに変わってしまうことでしょうね。Facebookなどにもわたくしはちょっとそういう質問をしてみたのですが、まず、寝たきりの高齢者とか寝たきりの病人、または長らく病気を患ってほぼ寝たきり状態になっている人…排泄でトイレに行くのも時間がかかってしまうような人、もしくは身体障害者の方で、やはり車椅子に常時乗っていないと移動できないような方で、家ではベッドに座っているような状態の方、こういう人は、もし家がグラグラ揺れて、それこそ倒壊する危機に迫られて家族が避難するぞと言った時に、すぐに当然自力で起き上がって非難する訳にはいきません。書くまでもない、言わないでも判ることですが、誰かがそれこそおんぶしたり介助して連れ出さないといけませんが、そんなことがこの短い時間内、今まさに、家がグラグラ揺れてもう倒壊するぞ‼下敷きになるぞ‼というときにできるものでしょうか?ごく普通の人、健常者でも怖くて震えて、うずくまって何もできなく、全てのことを拒否するような反応が起きてしまうかもしれませんものね。

瞬時の判断をすることもさることながら、判断をするといっても、じゃあこのおじいさんを置いていくか、このまま家の下敷きにするか?自分が犠牲になるかもしれないけれど、とにかくおんぶして引きずってでも外に連れ出すか…という判断を瞬時にそれこそ1秒か0.5秒ぐらいの間に迫られることになります。パッと行動に移したからといって、成功するとは限りません。それに避難所に着いたって、自力で排泄できなような人はなかなか生きていくのは大変です。災害関連しとして、避難所に移動した後に体調を崩して、知らないうちに冷たくなっている人のニュースもやっていました。(第1回目はここまでです。第2回目に続きます。いつ何時、これから自分の身に起きる事やもしれません。多くの意見をお待ちします。第2回目に続きます。)

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