最近は次のようなことも少しだけ思うようになりました。といいますのも例えば、一般的な話、恋人や妻などが、事故や病気であの世に行く…そうすると、残された身としては、とても悲しく耐えられない……深いショックが残るわけですが、しかしそれとても、例えば今自分が40歳であるならば、もうあと40年も経てば、一応自分もあの世に行くことになります。ここらへんは、いや、魂なんかありえなくて、もう“死”こそが存在の終点だ、その後は何も残らないという考えや信仰の方もいらっしゃると思いますが、それはそれで大丈夫です。
とにかく40年~60年ほど経てば自分も死を迎えるという事実はゆるぎないものです。
なので、40年経って自分が死を迎えれば、何もなくなり無になってしまうにしろ、魂があってあの世に行くにしろ、再度、先に亡くなった自分の恋人や妻(死者)と同じレベルの存在になるわけです。確かにあの世に行ったからといって、先に亡くなった妻や恋人に、自分も同じ身分(存在…霊界でのステージ??)になって会える保証は何もありませんが、魂があるならば、たぶんそういうこともあるのではないでしょうか。
臨死体験(ニアデス=死に近い体験)をなされた人の述懐などによりますと、お花畑が一面に広がっていて、そして負の感情が何もない世界……負の感情ということは悲しみとか恐れとか妬みとかでしょうか?
とにかくすべてが平穏で穏やかな、落ち着いてのんびり静かに時が流れて行く環境で、そして、先に死んだ親戚や親、恋人、友人などが迎えてくれるといいますので、多分あの世に行けば、また死んだ親族や知人に再び見(まみ)えることができるのではないか……私はそう思っています。1億年も1秒も物理的に言えば時間の長さということでは、対等というか、要するに多少長い、多少短いという概念であって、人間の感覚からすればもちろん1秒と1億年では全く違いますが、しかし、物理学的なそういう観点から見れば、100年であれ2日であれ、長い長い宇宙の歴史からすれば、両方とも一瞬のような時間なので、たとえ先に恋人や親が死んでも、また220~30年も待てば(確かに今10代の人であれば百歳まで生きると仮定して、90年ほど待たなければいけませんが……)いずれにしろ有限の年月日を待つことによって、また再び会える……少なくとも彼らと同じように自分もこの世にはいない存在となるということを思えば、そういう早くにこの世を去った人たちのことは、ただ単に少し早くだけあの世に行ったと思えば、またいずれ自分も行くことになるだろうから、悲しみが続く期間というのは、自分があの世に行くまでの期間=死ぬまでの期間ということになって、少しは心が慰められるのではないでしょうか?(第2回目はここまでです。第3回目をお楽しみに)
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