上級国民などと言われていて、すぐ逮捕されないのかと問題になっていた、飯塚幸三被告が、収監中に死亡(老衰だそうですね!?)したというニュースがありました。(このブログを執筆したのは、2024年11月27日なので、もう1ヶ月弱経過していますが……)ユーチューブでもこういう話題をまた取り上げるんじゃないかと思いますけれども、とても痛ましい悲しい事件でしたね。皆様、覚えていらっしゃいますか?
池袋での自動車暴走死亡事故です。奥様と子供を殺された被害者の松永さんは、本当に人生に絶望したというか、私ならそういう事に耐えきれないのと、奥さんと子どもさんが先にあの世に行ってしまって路頭に迷うのではないかと思うと、それこそ自分も自殺して……絶望に自殺するというよりは、道案内のために一緒にあの世に行くというような意味で…もしくはやはり絶望のためにどうすることもできなくて、自殺してしまうかもしれません。
自殺という明確な概念を持たなくても、もう何もやることがなくなって、ふっとビルの屋上から飛び降りてしまうとかそんなこともあるのではないでしょうか。
人間にはいろいろなドラマがありますね。
さて、その被害者はこの容疑者死亡に対しては、『……それで娘と奥さんに妻に謝ってほしいという気持ちもあるけれども、収監中に亡くなったということで、胸が痛い思いもある…』と優しい言葉を述べていらっしゃいます。わたくしがそんな逆の立場になったら、『呪われろ!地獄に落ちて呪われろ!ざまあみろ、もっともっと苦しめばいい!地獄でのたうち回れ‼』……などというコメントを出すかもしれませんが、確かに一般の人々の手前もあるので、多少取り繕ってもうちょっと柔らかい言葉になるかもしれません。
やはり被害者の心情も時と共に薄れるということでしょうか?確かに呪わしい衝撃的な、ショックな出来事は永遠に癒されることはないかと思いますが、人が死ぬ、恋人が死ぬ、親が死ぬなどという、わたくしも経験しましたようなガールフレンドが死ぬという悲しみも、人は、10年も20年も経てば、もう少しは癒えて、ごく普通に思い出す一般の出来事と変わらないようなことになるのでしょうか?
例えば恋人が死んだということと(まあ死んだ状況にもよりますが、病気なのか、誰かに法律無視の交通事故で殺されたのか、自殺したのかとか、もちろんそういう状況にもよりましょうけれども……)とそれと今回のような、奥様と子供を暴走車によって何の落ち度もないのにひき殺されたというのでは、衝撃の度合いがもう何百倍何千倍と異なって悲しみの癒え方も当然全然ペースが違うのではないかと思われますが、しかし時が経つということは、色々なショックを忘却の彼方に押しやってしまう…という面も否定できないと思います。(第1回目はここまでです。第2回目に続きます。)
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