(154)深夜出発の能登旅行は、人間をやめるためかと…( ゚Д゚)…(その3)

懐かしい昔の事柄、ドラマ、アニメ、出来事、思い出
ステキな能登の海岸

さて、もう先回と先々回で2回もエッセイが進んだのに、あまり「なぜ、能登半島旅行=人間をやめること」なのかの解説がほとんどないので、不気味と思われるかもしれませんね。もう本当にわたくしも60歳を過ぎました(初告白…( ゚Д゚)……こちらの方がびっくり‼?)ので…。小学校時代は、本当に50年ぐらい前ですね。あの頃の光景を時々思い出します。なぜか知らないけれど、そういう、小さい頃の、初めての何か、教材でしょうね、小学校でもらった時計のような教材…綺麗な色だったな~~、まざまざとリアルに思い出すのですよ。緑色の、そして白い色の小さな歯車がついた、スケルトンの小さな時計の、時間を読む勉強の教材だったのでしょうね。昭和40年代の小学校で、そんなカラフルなオシャレな教材があったのでしょうかね……⁉

それから思い出すのは、父親が、わたくしの高校2年生(名古屋市立菊里《きくざと》高校在学時)死んだときのこととかね。いや、父親の強烈な思い出はもっと前ですね…わたくしが小学校高学年の時でしょうか、父親は、時々このブログでも書いていますけれど、わたくしを殺そうとしました。一緒に心中しようと…、自殺しようと…一緒に自殺しようとしましたけれども、まあそれはそれで、わたくしは父親を尊敬しております。音楽家、バイオリン弾きとして、偉大な音楽家として尊敬はしていますけれども、まあそういう、なんか悲しい事、本当にね、こういう風に…特にこのエッセイ(ブログ)のために、スマートフォンへの口述入力で喋って録音していますと、声の質感とかで、昔をリアルに思い描くので、なんか真に迫って悲しみとか絶望がひしひしと迫ってきます。当時の情景が本当にリアルに再現されてしまいます、心の中に、脳裡のスクリーンに。

深夜ドライブというとピンと来ない人もいらっしゃるかと思いますが、こんな感じで、遠い道中のコンビニで休んだりしています。

あ、今、暗い家がありましたけども、ひとつだけ窓に明かりが点灯していてちょっとなんとなくホッとしますね。

最近も、悲しい事たくさんあります。そうでした…この前、ダンス協会の総会があったのですが、結構年配の先生が、本当に着席しておられたのが、突然“失神”されたというか、“昏倒”というか、倒れられて心停止になったんですね。それでまあわたくしが黙々とAEDを手配&指示(と言うと大げさですが、まあ、このブログやダンス会報誌に『生徒が突然倒れたら…』などの表題で、偉そうに、AEDの使用法などを解説していますので、じっとしている訳にもいかないですからね、使命感からして…)して、わたくしとあと二人ぐらいの先生で、その会合の出席者50人くらいが心配そうに見守る中で、助けたのですよ…しかし、何も感情が無い様に黙々とそういう行動をしても、そのあと、ある種の虚脱感というか、その後救急車の隊員からも、事後処置が非常に良かったので、その年配の先生も命を落とさずに済んだとお褒めの言葉も頂き、もちろん助けることができた(…本当に現場にいてそういう救命処置をすると、非常に驚愕ですが、心停止していたのが、ゲフッという、ゲップのような感じで、息を吹き返すのですよ…。いや、心臓が復活するので、息を吹き返すというのは正確な表現ではないのかもしれませんが……)という満足感もありますが、そういうことがあるとですね、いろいろ人生ショックな物と思えてしまいます……。人生は晩年、とっても怖いモノだと考えられます。考えさせられます。もちろん世の中いたるところで交通事故があったり、病気で人が死んだり、殺人事件があったりしますけれども、なかなか自分の周囲にそういうことがあると、本当に…悲しいです。

雄大な能登の海岸風景…こんな場所にいれば、日常生活は、結構忘れることができて、平凡な言い方ですが、精神をリフレッシュできます。

まあ、それで、例えば、この旅行に深夜出発するというのは、そして道中そういう事をあれこれ“回想”するのは、一旦、そういう怖いしがらみを“リセット”する、自分が人間でなくなって、無の存在というか、ある種の機械になるというか、そういう意味でも、『人間をやめる』という事になると思っています。でも、なんか思っている事と、主張したかった事と異なっている感じがします。うまく書けません。話せませんね…心の奥をさらけ出して説明するというのは下手ですね…。(ここまででその3の項は終わります。「その4」に続きます。)

ごく普通の能登の内陸の道路…国道249号線かしらね

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