(76)呪われた実家も遂に更地になる(2回目)

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電球に風呂敷をかぶせてくるむと、首を吊っている人の顔に見えた……

はい、前回ちょっと父親に心中に誘われて、殺されそうになったというお話しをしましたが、そういう実家でした。愛知県名古屋市の昭和区にあり、今ではついに解体されて、一応“更地的”になっています。地下鉄の駅にも近いので、商業用に活用できる目的で、だれかご購入を検討してくださいませ。ただし、土地の面積は、18坪ほどでそんなに広くはありません。(大体、極秘ですが…その辺の路線価は1坪約96万円ぐらいです。)

さてまた昔話に戻りましょう。まあ、父親に真剣殺されるところだったという一言からも、この実家が呪われている感じがします。恐ろしいこともたくさんありました。実家が解体される=取り壊されたのがまだ1年前ですからね。その前は、一応昭和2年くらいに作られたと思われるボロい家でしたが、何と隣の家と壁続きになっているので、隣の家の所有者と共同でないと取り壊せなかったのですが、それが隣の所有者と奇跡的に合意でき解体されました。

でも解体前の思い出、呪われた?思い出を話しましょう。その家は本当に小さいのですが、一応木造で一戸建てで2階建てでした。そして部屋でいうと6畳~8畳くらいの広さの庭がありました。夏休みにはその前の部屋にちゃぶ台というか飯台(はんだい)と父母は呼んでいましたが、ご飯用の低いテーブルから、夏休みの日誌なんかをやりながら、その庭をいつも眺めていました。庭はまあ、ほとんど手入れしていなかったので、細い楠(くすのき)が1本と、あとは、腰の高さ位の雑草が生い茂っていて、狭かったのですが、秋になるとコオロギの声なんかも多少はしていました。前述のような“壊れた家庭”(=父親は子供のわたくしを殺そうとするし、母親は家出中)でしたので、父親が市外や県外に旅行などに連れて行ってくれたことは皆無でした。なので、いつかこういう草深い部分がとてつもなく広がっているような、東北の山奥とか深山幽谷(しんざん・ゆうこく)や田舎のひなびた温泉…東北や北陸、九州の田舎…そういうところに行きたいなと強く思ったものです。それで一種の反動で、今現在、一応大人になった時に、能登ぶらり旅とか、以前は1週間くらいの東北秘湯巡りの旅を、自動車でしておりました

さて、夜は1階で、母親が家出していずに、ちゃんとそばにいた、もっと幼いころは、畳の間で家族3人で布団に横になって眠ったものですが、そういうとき、その居間には、現在のような天井埋め付け?の蛍光灯などあるはずもありませんから、天井から外被付きのコードが下がって、そして電灯の小さい“笠”がついた、ほとんど裸のままの状態の白熱電球がぶら下がっていました。そういう状態だと、夜も点灯したままだと非常に明るいし、今のように、小さい豆電球がついていて、暗くなる点灯もできるとか、そんな風では全然ありませんでした。先ほど述べたように、白熱電球の上にちいさな笠がついてたんですね。その傘のところに、うまく風呂敷を括(くく)り付ける訳です。要するに白熱電気を風呂敷で覆う状態になるものですからかなり暗くなるんですね。そういうふうにして、少しだけ暗い状態の電灯をつけたまま寝てしました。それならいっそ、電気を消して真っ暗にすれば良い様なものですが、どうも父母は真っ暗の中では寝にくい習慣だったようです。(ちなみに今のわたくしは、真っ暗が好きです)そして、この風呂敷にくるまれた、小さい笠の白熱電球が、ものすごく怖く恐ろしかったのです。なぜかと言うに、これが、やはり世間知らずの小さい子供ですからね、わたくしは。なので、寝床から枕に頭を乗せてそれを見ると、なんとなく人の頭部に見えて、しかも電気のコードで天井から下がっているので、首を吊っている人間の頭部に見えたんですね

それが非常に不気味で本当に毎日怖かった覚えが、今でもありありと思い出せます。そういう風に考える(想像する)からいけないのかもしれませんけれどもね。ただ単に天井から何か籠のようなものがぶら下がっているだけと思えば、全然あの不気味ではなくて、お洒落なランタンみたいなものが下がっているだけなんでしょうがね。やはり夫婦仲が悪く、けんかして、母が血を出したりするのが、結構普通の日常だったので、(こう書くと、どれだけ恐ろしい夫婦だったのかと、ある意味、今現在では笑えてきますが……)そういうに、大体普通では考えられないような、ぶら下がった電灯を、首を吊った人の頭部になぞらえるなんていう不気味な想像をするのは、やはり、その下地になる怖い壊れた夫婦とその子供の生活が根底にあったからなんでしょうかね……

まあ確かに“呪われた家”などというと、少し大げさですけれどもね。まあそんなようなことが有ったり、とにかく父と母はすごく仲が悪くてよくケンカをしていましたが、その父は、わたくしが名古屋市立菊里(きくざと)高校の2年生の時の6月2日に喉頭癌で亡くなったんですけども、そのもう5~6年前から鎮静剤と言いますか、一種の睡眠薬のような粉末状の薬の中毒でした。病に臥せりがちでかなり前から、寝込んでいたような生活でした。鎮静剤を飲むと、それは精神安定剤を兼ねているのでしょうね。父の職業は、自宅で、音楽院を構えて、バイオリンやピアノ、ギターを教えている、音楽の先生でしたけれどもね。それもわたくしが小学校4年のころからやめてしまって、母親が家政婦をして生活を支えていたようでしたけれども、今でも、そのあたりはどうやって生活費が賄われていたのか、全く不明です。(第3回目に続く)

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