この前から、小説の中の名探偵たちの、○○…想像を絶する所業についてのエッセイを書いております。真剣、わたくしの人生における最大級のショックになっていますし、この前、名探偵ポワロシリーズの最終回「カーテン」を観て、さすがにあまりにもショックで大驚愕しました。ポワロは超高齢で、老衰し、落ちぶれた感じでした。相棒の久しぶりに会うヘイスティングス大尉も、もうかなりの老人然とした感じです。これ以降はネタバレも含んでいるので注意してくださいませ。



さて、では名探偵ポアロの場合の○○はどうだったのでしょう?今も書いたように、ネタバレを含みますので、まだこれからポアロ最後の事件『カーテン』を観ようと思っている人は、この先は読まないほうがいいでしょう。ポワロさんの場合は、この犯人は、(別の人もブログに書いておられましたけれども)『心理的殺人教唆』というような表現が妥当かと思われるような犯人なので、実際にその犯人が手を下してあれこれ殺人を犯していたという訳ではないのにも関わらず、ポアロはその人物を悪魔だと罵(ののし)り、絶対滅ぼしてやるとまで叫んでいるのです。年老いて老醜を晒(さら)した表情で言っている訳です。これにも心底びっくりです。やはりわたくしたち日本人の仏教的思想と言うと大げさですが、そういうものと、キリスト教的人生観というものの相違なのでしょうか?
探偵がそのように、絶対に悪を滅ぼしてやると言っていることが大層印象的でした。 確かに探偵というものは、犯罪を憎んでその犯罪のメカニズムを暴いて犯人を追い詰めていく訳ですから、確かに犯人を滅ぼしてやると言えば、その通りなのではありますが、多くの探偵はそういう姿勢というよりは、犯罪を憎むけれども、その犯罪を犯した人間までは憎まずに客観的にその責任を追及するというようなスタンスに思われますので、あまりにも大声で『絶対、あばいてこらしめてやる!!』みたいなことを言うのは、ちょっと違和感があったのです。
おかしいでしょうかね?わたくしの見方も……。そういう名探偵ポワロがそれほどまでに悪態をつくということも珍しいシーンで、終始冷静なポワロにはあってはならないような感じがしました。
わたくしはそれを見たときに、これは全て、このスタイルズ荘という館で起こっている事件の犯人をあぶりだすためのヘイスティングス大尉とポワロとその周囲の3人くらいのポワロの意図を了解した腹心たちによる、お芝居なのではないかと疑ってすらいましたが、どうも結局そうではないみたいなのです。これは本当の、芝居ではない真実の叫びだったのです。(第2回目終了。第3回目に続く)
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