さて、国立長寿医療研究センターは色々な素晴らしい研究所ですし、わたくしたちが普及に情熱を注いでいる“コグニダンス(認知症対策ダンス)”の創作を担ってくださった大恩人ですから、もちろん否定するつもりは全くありませんし、批判したりするつもりも全くありません。ただ、そのコグニダンス誕生の大元にもなりました、MCI(軽度認知障害)を多少治療できるというアンケートの様な、モニターのような人たちを募集する、この最初の新聞での呼びかけにおいて、最初に緑区の高齢者の方々に、試験的に、70歳以上の高齢者2万人に試験的に、将来認知症になりそうな『予備軍』を発見できる簡単な検査をして、そしてなりそうだと判明した人には、無料で、ダンスや楽器演奏、また健康講座を座って聴く(座学)とかのMCI改善プログラムを受けて頂き、予防効果を検証するというものでした。まあモニターのようになっていただくことをお願いした訳ですね。今書きましたように、2万人もの高齢者に、アンケート(簡単な検査)をして、軽度認知障害傾向のある人には、別途プログラムを用意して、参加してくれれば改善が期待できますよ、そういうプログラムがありますよという風に持ちかけまして、座学と、ダンス、楽器演奏(後に和太鼓に決定)そして、このダンスこそ、これが、わたくし内藤和己が売り込みに行って始まった、社交ダンスとの関わりで、後にコグニダンスの誕生になる訳なんです。そして、1年にわたって、このMCI改善プログラムを実施して、その実施前後また途中に於いても、合計20万円くらいかけて、脳のスキャン画像、また、よく聞くアミロイドβの測定、認知機能のテスト、運動訓練などを経て、それぞれのコースの効果がどのくらいあるか、どの位、MCIが治療できたかという事を調べた訳です。一種の“治験”ですね。
それで今お話ししたのは、その時の経緯なのですが、わたくしが、今回のこのエッセーで、話題にしたい事柄は、その時の新聞記事を画像として引用掲載しておりますが、そこにも明記されている様に、なにせ、その最初の簡単な検査の時をお願いする時にですね、そのモニターに応募してきた人にですね、タブレットでその検査をしたんですね。そういうことから思うのですが、これからの高齢者はタブレットぐらいは使えないと、またはコンピューターやスマートフォンですね、インターネットに接続したり、簡単にネットで調べたり、また何かの申請をしたり、そういう風に使えないとダメだぞというような、そういうお国のですね、やはりちょっと堂々とは言えないでしょうけど、そういうお国の方針と言いますか、なんか本当はね、ええ裏で何かあるんじゃないかという風に考えたりします。先述の、MCI改善プログラムの簡易検査なども、タブレットとかでやると判った時点で、『えっ、俺はそんなの使った事ねえから、もういいよ…』なんて、あきらめたり、やる気が全部失せたりして人も多いと思うんですよね。これは、別に老人に限った事ではなくて、中年、壮年、若い人だって、高齢者以外すべてコンピュータ使いこなしますよって訳じゃないですものね。最近は特に菅内閣になってから、“デジタル省”等と言う役所もできて、一気にそういうコンピュータ、ネット関連の申請や役所仕事が激増で、そういう一定の強い方向付けができているので、もう陰の方針とかでなくて、あからさまな、そういう一種の“コンピュータ難民”の排除傾向が進むのではないのかと、ちょっと心配と不安があるもので、今回こういう事を書いてみました。関連してですね、この最近の新型コロナウィルス感染拡大防止の際の、営業自粛や、個人への例の10万円の補助金などを申請するときにもですね、オンライン申請ができれば、申請をする方も受理する方も機械的に処理できるので、非常に楽だと思うんですけれども、果たしてひとり暮らしの人とかですね、老々介護のですね、その介護者、被介護者がそういう申請ができるかと言うとね、それはやっぱり本当にできないとかなり難しい面があるでしょうね。かと言ってそういう高齢者がですね、役所まで行って、またいろいろな書類を書くとか言うと、そういう風にして手続きをするのも、やはり足腰が弱っていたり、足が悪かったりで多少歩くのに支障があったりすると、こちらも大変ですけれどね。(これは交通難民、移動難民と言うべきか?)
また別のお話しですが、災害ですね、地震とか洪水による土砂崩れや家屋の浸水、これはそういう災害の時なんかにも言われたりしますけれども、高齢者は自動車運転に関してもですね、やっぱり自動車弱者と言えましょうかね…⁉ 運転できない人などにとってはですね、そういう災害が起こったときに、飲み水とかお握り、食料などの配給車ですね。そういう配給のある広場、会場まで、自動車を運転して行かないと、水や食料配給が受けられない。これは個別にですね、その被災家屋を1軒、1軒、訪ねて回ってくれるところもあるんでしょうかね?? そういうまあボランティア団体などもあるのかもしれませんが、やはり大きいバンやトラックなどの配給車だと狭い道には入れませんもんね、山道とか田舎の急な坂道とかにはね。ですから、ポリタンクなんかを持って集まっていただかないと配給できないということになったりするので、やはり自動車が運転できなかったりするとそれは難しい面があります。かと言ってそういう高齢者がですね、やはり自動車がですね、運転できるということは生活範囲が広がったりして非常に行動がたくさんできるわけですが、別の問題があります。今書きましたように、自動車を持っていて運転できて、あちこち行けるという事は、当然大きく生活能力を高めるということになっていると言われるわけですね。しかし、反面まずい事も多々あります。まあ高齢者のその安全運転とか、最近の例ですと、上級国民が起こした、例の『池袋暴走事故』なんかがありますよね。高齢者が、自動車を運転すると、認知機能の低下によって大事故が起きたりしますから、生活能力向上のために、運転する事と、事故の危惧から、早めに運転免許を返上するというところで、相反する状況のせめぎあいもあるでしょうが、元々免許がなくて、自動車運転ができいなければ、それこそ自動車弱者で、前述のように、配給や役所に行くのにも支障が出て、それはそれで、とても悲しく悲惨な状態とも言えます。勿論、そういう事をカバーしてくれ、親身になってくれる家族というのがいるかどうかも非常に重要ですけれどもね。
高齢者がコンピュータとかタブレットの扱いができるというのは、一昔前だったら、絶対にありえない部類の話でしたが、やはり現在のお国の政策と言うか、政府の方針というのは、高齢者がそういうコンピューターやタブレット使えるような能力を持つように、色々な省庁や役所などの方針を指導しているんでしょうかねえ?! 一種のシビリアンコントロールと言いますか、世の中を陰から操っているという感じがしないでもありませんね。
もう本当に、たとえ今の高齢者がですね、そういうコンピューターやタブレットができなくて自動車運転できなくても、20年も経てばですね、そういう風になれば、あちらの世(あの世)に行ってしまう訳ですから、まあ、悪い言い方ですが、問題はないわけですね。ですから今、50歳代とか60歳代の方は、結構やっぱりそういう風に洗脳されて、コンピューターとタブレット、スマートフォンを必死に勉強されていらっしゃるのでしょうね。ところで『あの世』の、現在はデジタル化されつつあるんでしょうかねえ??……
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