普通、選挙演説の様な講演は止まって聴く人もいるが、それらは稀でみんな一目見ただけで通り過ぎていくとすれば、100人から200人ぐらいはいたのでしょうが、ニュースの映像から見る限りにおいては30人ぐらいがバラバラと立ち見をしていたというような感じに映っています。そんなところに、今でも大きい勢力と権力を持っている、いい意味で、日本のリーダーである安倍元首相が、全く普通の通行人の様にふらっと立ち寄ったという感じで、マカン箱の上?に乗って話しを開始するというのも、何かとてつもなく、もう既に、非常におかしい、恐ろしい、呪われた空間に捕(とら)われているという感じがします。
確かに森友学園問題とかもありましたけど、いい意味で日本をしっかり牽引して引っ張っていくようなリーダーを、ある意味、無防備で敵の陣地に放り投げるような状態になっていて、そして恐ろしいことは、それを誰もほとんどあまり問題にしていなかったということです。先にも述べましたが、『ブラディ・マンデー』や『相棒』のような映画、ノンフィクションの方が、(まあ架空のドラマですから)狙撃や襲撃の仕方が進んでいる訳で、少しでもそういうのを見て勉強したら…と悔やまれてなりません。
恐らく安倍元首相本人も今日死んでしまうだろうということ…というよりも、万に一つも自分が何か狙撃されるななどとは、全く考えていなかったと思います。 ここはすごく恐ろしい事ですね。
それに、これはあとから何とでも言えることなので、多くのニュース番組でも取り上げられていますけれども、やはりこの応援演説というのは非常に恐ろしい状況になりますね。まあ、候補者がそんなに有名な人間でなかったり、まだ議員になっていないような人、もしくは議員になってもまだあまり年数が経っていない未熟な人というのならば、まあそんなに狙われない人は思います。しかしこれが、元総理とか元○○大臣とか、もしくはそれこそYouTubeで毒舌を吐いて特定の層から憎まれているとか疎まれている政治家や、過激な主張が売り物の評論家だったりすると、やはり誰がどこから狙っているともしれません。
そういう事から考えれば、元総理があの様な、本当に警備が手薄なところに放り込まれるというのは、実に恐ろしいことだなと身震いがします。思い返して、想像するだけで、本当に頭脳がしっかり考えなくても、恐怖に震えて、涙が出てきてしまいます。
それに総理が応援に来れば、非常に総理までもが応援しているんだということでインパクトがあって、その立候補者はある意味ほくほくなんですけれども、でも考えてみると総理はそのとき、ただ単なる、お膳立ての道具というか、その立候補者の強力なお手伝いの道具みたいな扱いを受けている訳です。人間と言うよりは、宣伝材料の「物質」として使われているわけだからこそ、今度のように警備も手薄になってしまうのでしょうか?一国の総理が来て、じゃあ5,000人も1万人も集まるかというと、そういう感じでもなくて、むしろネットにもきちんと来場予定は明かされずに、それこそ一種の“サプライズ”みたいに扱われているのでしょうか?
それに事前にしっかり、総理が来場するという風に宣伝するのならば、確かにもっと1,000人、2,000人集まったかもしれないけれども、そうでもないのならば、総理に来てもらう意味がほとんどないのではないでしょうか?それこそ総理に来てもらって、サプライズみたいに登場してもらって、一番利益を売るのは立候補者本人だけですね。なので、立候補者のための犠牲になってしまったという言い方も可能です。通常、幹事長とかそれこそトップクラスの人が、同じ党の立候補者を応援するならば、公民館とか公会堂のような場所を借りて、そこに警備の人を置いて、身体チェックみたいなことも多少して、それで聴衆を入れて演説をするというのが妥当かと思われます。それに比べて総理はメリットを得るよりも、そういうマイナスのデメリットとかを一身に、あの時の応援演説の場所で引き受けてしまったような感じがします。(第4回はここまでです。第5回目に続きます。)
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